2011年3月11日
日本に住む人だけでなく、おそらく世界中の人々の目蓋に焼き付いたであろうあの光景を、当然私も今でも忘れることはできない
そんな人類の辛い歴史の1ページでもある3.11は、個人的にも少し特別な日であったりする
そこで「推しごと」とは少し脱線した話であるが、今日は少し身の上話を踏まえながらあの時の記憶を辿ってみたい
「あの日」、自分は当時の赴任先であった沖縄県南部の、ある大学の卒業式後の謝恩会の担当教員として、昼過ぎから学生の実行委員とともに那覇市にあるとある港近くのホテルのバンケット会場にて準備をする予定だった
ところがそこへあの一報が入る
すぐさまその事態の重大性に気が付き、一旦テレビで状況を確認するために大学から近くの自宅アパートへ(大学ではテレビを視聴する環境がなかったので)
それと同時に可能な限りの学生へ取りあえずその場で「待機」するように連絡を入れた
ここでまず考えたのはやはり津波のこと
島嶼地域である沖縄はどの街にいてもすぐ側に「海」がある。よって学生を可及的速やかにそこから避難させなければならない
無闇に移動することでのリスクと情報を入手できなくなったり入手が遅れることがこの時一番怖かった
急ぎ自宅に戻って画面を見た瞬間、すぐにコレは大変なことが起きたという理解はできたのだが、逆に余りの大きさに受け入れが追いつかない自分が同時にいた
しばし呆然と画面を眺めていたのだが、ふとその夜開催予定だった謝恩会のことを思い出し、開催委員長である教授へと連絡を入れて可否の確認を行った
するとそこにはなんとも呑気な「大丈夫なんじゃない?」という返事が・・・
「なんて呑気な」と半ば呆れつつ、最大限の安全(そんなものがあったのか後になって考えれば分からないが)を図りつつ、取りあえず上がすると言うので開催の方向で準備を進めることに
実行委員の学生には
『常に情報には注意しながら準備を進めること!』
『仮に津波の情報が入った時は「上方避難(ホテルの上層階への避難)」を頭に入れておくこと!』
を伝えて、とりあえず現場集合とすることにした
結果として幸い沖縄には津波は到達せず、私も学生も無事であったのだが、宮城県石巻市の大川小学校の例を出すまでもなく港近くのホテルでの開催に異議を申し立てなかったことや、学生への「その場に待機する」という指示の判断は「間違い」であったと今では思う
(異議申し立てを全くしなかったわけではないが・・・)
今思い返せば被害がなく学生、我々を含めて被害がなかったのはあくまでも「不幸中の幸い」であって、「Better Choice」で無かったことは明らか!
この事はその後大きな「悔い」として自身の中に残ることになった
それから時は流れて2017年
自分は実家のある福岡へ帰り、縁あってキリスト教バプテスト派の教会に礼拝通うことに
そしてそこで偶然、2018年の3月第2週の日曜日が11日(つまり3.11Memorial)であることを知る
これこそまさに「神のお導き」と思い、洗礼への準備を進めることとし、2年前の今日バプテスマ(洗礼式)を受礼
これは自分自身の中にあの日のことを「忘れない」のとともに、あの日出来なかった行動が今後出来る人間でありたいという一人間としての目標の証でもある
もちろんイエス様はそんな事を望んでおられるわけでなく、「すべての人をその人のありのままでゆるされる」のだが・・・・
そんなこんなで私にとっても「3.11」は自身の受礼記念日として特別な1日である
まだまだ復興半ばの東北の方、被災者すべての方、そしてこの未曾有の自然災害の被害に心を寄せて祈り憶えている方々へ
どうか1日も早い「真の復興」が訪れますように
