釈尊の言葉↓


人間存在から、

若さ、美しさ、愛、情念、富、地位、世間的能力

などのうつろいゆくすべてものをささらでも使って

根こそぎかき出してみれば、


あとに残る骨組みは

万人共通の老・病・死があるばかり。


人は誰でもそれに直面して

初めてそのことに気づく。


それに対して釈尊は、

人生の花開いた美しい青春の日に

生存のまごうことなき骨組みを

老・病・死として受け止めた。


それを生存するものすべて(一切衆生)の

苦ととらえ、その苦を超えようと出家された。


若き日の釈尊は老・病・死が万人にとって

まぬがれたい真実にあるにもかかわらず、

人がそれをいとわしく思う底に


若さは老いに対する

健康者は病者に対する

生きているものは死に対する


無意識の優越感

傲慢の思いが至ったと伝えられる。


これほど理路整然と分かり易く語ってくれる人は居ない。



老・病・死をかかえこんだ髑髏にいのちの衣を

きれたのが「生」だというならば

その衣は、出来れば美しく穏やかでありたい。


日々に生き行く姿は、日々に死に行く姿だと思えば

ものみなありがたい。

活き活きと生きゆくことが、

活き活きと死にゆくことだと納得すれば

心安らぐ。