自分の取説
忘れるなよ。

毎日の生活リズムがよくても、
不安で色々と考えてしまう場合、
想いを考えすぎないこと。

考えるなら改善することを考える。
後ろを向くときは「振り返り」を行うだけにする。

でも、これらは一定の調子になり
リズムが整ってからしかできないことだと思う。

整う前は、
頭では理解しているが身体がついてこない。
身体の改善を実行しても、
何か、で改善策の継続性を失う。
身体が変化することに追いついていないため、
身体がついてこれないのだ。

もしくは心がついてこないのかもしれない。
ただの表現の差だと思うのでどっちでもよいと思う。

要するに頭で理解してから、
身体が理解するまでタイムラグがあるのだと思う。

経過はこうだ。
頭で理解して、試して、
変化する身体が着いてこず、調子を崩す。

でも、時間の経過で少しずつ
良くなるので、また試す。

そしてまた身体がついてこずに
調子が下がる。

そんなことを繰り返していくうち、
いつの間にか改善が日常のルーチンに
変わったときに、身体が理解してきて、
一定のリズムがあることを心地よく思い、
そして身体が安心する。

そのあとに、体調の安定感が生まれ、
余裕(気持ちの)が生まれ、嫌な気持ちもなくなる。

やはり余裕のある状態は自信があるとき、
もしくは自信が付いたときに発生するものなので、
余裕が生まれるだけの何かを身体に
教え込まないといけない。

そうしないと、
身体はいつまで経っても定期的に悲鳴を上げる。

頭で理解しているだけでは駄目で、
身体が理解できるようにゆっくりと
頭の理解を身体に浸透させるイメージだ。

身体はすぐには理解できないのか、
理解しにくいのかわからないが、
あまり要領がよくないらしい。

それは私の身体だからなのか、
人間全てに共通することなのかわからないが、
調子を崩して長期的に休んだ身体は少なからず
直ぐには頭の理解に追いつかない状態になると思う。

休みぼけなのだから仕方ないのだが、
ブランクがあることが、
思った以上に落ちた体力に気づけないのだろう。

お金を貰うというプロフェッショナルの
世界に現役復帰をするのだから尚更だと思う。

一線に活躍した人、一生懸命に走りすぎた人が
休む病気だと言われていることからも、

一線のレベルと自分の今の落ちたレベルとの
ギャップが理解できずに身体が苦しむのだろう。

でも、大丈夫。
根拠のない自信が生まれるまでもがくと良い。
辛いし、あきらめたくなる。

でも、大丈夫。
これまでもそれに近い辛さ、あきらめたくなる状況を
乗り越えてきた人だと思うから。

これまで以上に厳しい状態になって
休んでしまったかもしれないが、
いつか慣れると進んできた経験がある人だから。

前に進めない日があっても、
前に進もうとする気持ちだけはなくさずに
日々を過ごしていけば、

何かヒントがどこかに落ちている、
気づくことができる。

前に進もうと思う人しか
見つけられないことだと思うが、
これだけは必ず報われる努力だと思う。

自分を信じること、
根拠のない自信を持つこと。

どうすれば今の状況から改善できるか?
を考えること。

考え続けた結果、
自分が何者なのかを考えるようになる。
その時に改めて自分が分かる。

自分という存在がどのように周りに
良い影響を与えているか、

自分が何を周りに与えることが
できるかがわかるようになる。

そこまで行けば、
かなり症状もなくなっているだろう。

周りに何かを与えることができるかを
考え、少しでも与えようとしているときこそ
余裕が生まれている状態なのだから。

身体も頭の理解に追いついてきている頃だと思う。

ゆっくり身体が理解することができる
時間をつくったことで、
身体の悲鳴も減ってきている頃だと思う。

大丈夫って自分でも思えてきているのであれば、
少し安心だ。

その先は自分もどうすればいいかわからない。

今後も、調子の波は上下するし、
いつ波が大きくなるかもわからない。

でも、波の扱い方がわかってきたって言える
人になれているのだから
前とは違うことは忘れないでほしい。

ただ、思うのは自分の存在価値を
これからももっと、他の人に与えていくべき、
どうすれば与えることができるかを
考えていくべきだと思う。

その存在価値は人それぞれなので、
この先は自分の思うようにすればいいと思う。
与えることが出来るなら、
人格者と言われるような人だと思うし、

「人に与える」ということは
先人の言葉にもあるくらいだから。

私の体調説明書。
これだけは消さない。