Q「ご信心をいただく」という意味についてお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
そこで思ったのですが、真宗では聞法ということをとても大事にすると学んできております。
その聞法について「ご信心をいただけないから聞法する」のか、あるいは「いただいた実感があるから、ますます聞法したくなる」のか…よく私の中で分からなくなるんです。そのあたりのお話を聞かせていただけませんでしょうか。
A ああ、それは私も的確にお答えできるかどうか分かりませんが…
多分、両方の意味があると思う。なかなかまともなご信心・お念仏をいただけないから ―しかし、受け取りなさいと言われているわけだし、頭では分かっているわけ― だけど、なかなかそういう気持ちになっていけない。そこには何か欠けているところがあるんじゃないかな…というとき、唯一の方法は聞法ということ、教えを聞くということです。
ただ、教えを聞くといってもですね、教えを語る人がいい加減なことをいうからね(笑)。
しかしね、これは大事なことなんですけれども、この場所は、ただの教室ではないんです。教室で学習しているのとは違うんです。ご本尊があるんです。ご本尊の前で、仏法に関する声を聞いているわけです。ただ教室で学習しているのとは全然意味が違う。お寺の建物というのはそういう場所なんです。
昔からよく言うんですけども“場所が人を育てる”と。だからこの場所にいるということは、教えを聞いていけるということです。
そのことによって、ご本尊の用きかけをなんとなく肌で感じていける、それが聞法の機会なんです。そこで知らず知らずのうちに、自分はお念仏を「ありがたいなぁ」思えるように、ときどきだけど、そう思う。
そうすると、いよいよ教えを聞きたくなる、聞法したくなる。そういう相乗効果があるんじゃないかなぁと思います。
なかなか「こうすればこうなる」というものではなくて、お互い関連しあっているものなんじゃないでしょうか。
勇気を出してお訊ねして、本当によかったと思います。
先生のこのお答えに、何かをしっくりくるものを感じてくださる方が他にもいらっしゃったら、とても嬉しいです(*´∇`*)
