「なにとなく、
母めきたるやうにてこそ候へ」
(『恵信尼消息』真宗聖典P618)
昨日(2/18)は、祖母の二十五回忌でした。
命日は2/20なのですが、2日前倒しのお勤め
です。
もちろん、師である所属寺の住職に来ていただきました(^^)
祖母の死去は私が大学3年生の時。
その日も冬季オリンピックの真っ最中だったことを、昨日のことのように覚えています。
前にも書いたかもしれませんが、
私が真宗の教えに触れたのは、祖母の死と、その後の師との出遇いがきっかけです。
それから24年が経ち、紆余曲折はありましたが、
いままたこの年齢で、師と、そして家族と、
お念仏の教えを讃える集いができたことを
本当に嬉しく思っています。
悲しいばかりだった祖母の死も、時を経て、懐かしい思い出に変わってきたのでしょうか…
なんとも言えず、我が心のうつろいやすさが、切なく感じられます。
父母の仕事の関係で、私はほとんど祖母に育てられたような幼少期を送りました。
誰よりも敬愛していた祖母の死は、
いま思うと、まさに諸行無常という人間の生の事実を、如実に私に突きつけたものでした。
祖母の人生とは、なんだったのだろうか
私にとって祖母とは、どういう人だったのか
祖母にとって、私はどういう存在だったのか
今回の法事を終えて、あらためて
そんなことを考えていたところ
冒頭の言葉に出遇い直した気がします。
女手ひとつで、体の弱かった私を育ててくれた祖母の気持ちは、きっと恵信尼がその消息に残したように
「なんとなく、母親のような気がいたします」
というものであったことでしょう。
祥月命日である明日は、家族で祖母の思い出話をして過ごしたいところ…ですが、
やはり、九州大谷短大に大経の講義を聞きにいってまいります!
そんな日に外出するのは、祖母への思慕の情から、少しばかり気がひけるような気持ちもあるのですが
「棄恩入無為 真実報恩者」
と胸におさめて、明日も聞法にいそしみたいと思います^_^!

