※今夜の投稿は、備忘録的なものです。

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※ついでにいうと、写真と本文は全く関係ありません…(^_^;)


『法然の衝撃 日本仏教のラディカル』
(阿満利麿・ちくま学芸文庫)を読了。

心に残った、あるいは「なるほど!」と感嘆した箇所を、いくつかピックアップします。

「親鸞は、法然の忠実な承継者である。論理の基本は、法然と同じように凡夫の立場に立つ二元論といってよい。ただ(中略)法然の浄土教を大乗仏教の正統として位置づける思想史的責任を負わされていたこと、加えて、信を得たものの喜びを積極的に主張した点において、本覚思想と一脈通じた論法が見られる」

「求道心や自己に対する深い洞察を欠くならば、いかにすぐれた宗教的真理といえども、安易な現状肯定の論理に使われてしまうともいえよう。現に、法然の専修念仏においても、悪人が救われるのならば、わざと悪を犯してもよいだろうという、『造悪無碍』の主張が生じているのである」

「死者の冥福を祈り、その鎮魂慰霊を願うことが、宗教のすべてではない。逆にいえば、宗教心はなくとも、亡き肉親、知人の冥福を祈るこころは生じる。つまり、死者の冥福を願うこころは、人情の自然なのである。しかし、それは人情にとどまり、そこから一歩も出ることはない。死者儀礼は、いかに荘重であっても、所詮、生き残った人間の死者に対する心理的願望が投影されたものに過ぎない」