不眠と無職を貫く叔父も、ダイオウイカを釣ることに心血を注ぐ甥も、そのだめっぷりが愛らしい。悪夢を恐れ、オロナミンCを手放さない高山たかしは睡魔に襲われるたびに勃起し、出会う女とやりまくってはその最中、背中に自分の名を油性ペンで記していた。ナイスカンパニーの久米水産で働くハルオにも、釣りのかたわらで眺めてくれる女がいる。たとえ見事にだめ人間でも魅力があれば女にこと欠かない。
とりたてて何もない町で他愛もない日々。いまおかしんじ監督作品でこれは一貫しているように感じる。切り取るまでもない日常の中に見出すもの。また、そこに笑いと異質な世界を盛り込んで描くこと。深いようで、たとえばイカに何かのメタファーがあるのではと、それ自身は生殖器なのか、吐き出す墨は精子なのかなどいろいろ張り巡らせたが、物語はなにごともなかったかのように日常へ戻った。
説明的な描写は一切ない。無駄をそぎ落として、あるのは淫らな絡みとあほらしいやりとりで、それは娯楽の極みでもあるかのようだった。藍山みなみの素晴らしい太ももに欲情しつつ、下元史朗が扮した高山たかしの飄々とした生き様に笑う。
本編の後に「南の島へダイオウイカを釣りにいく」を併映。小笠原諸島の父島へいまおかが単身で乗り込み、ダイオウイカに挑むドキュメンタリーは、深みを完全否定する底の浅さを見せつける。原始に立ち返られるのであった。妙に上手い竿さばきと性的欲望、反復に腹を抱えた。