是枝裕和が時代劇を撮ってしかもそれがエンターテイメント作品だなんて、思いもよらなかった。浅野忠信、遠藤憲一、寺島進、夏川結衣、平泉成など是枝組おなじみのメンバーが脇を固める。加えて古田新太、千原靖史、上島竜兵、中村嘉葎雄など各界から役者を揃え、群像劇を成す。どこを切っても男前の岡田准一と、日本で最も艶やかにたすきをかけるのではないかと思わせる宮沢りえが、群像の中心となって元禄の江戸、四季折々の日が描かれる。
父親の仇を討つために信州は松本から江戸へやってきた侍の青木宗左衛門は弱かった。ぼろい長屋に住みながら、仇の金沢十兵衛を探しているが、決闘をしたところで果たして勝てるかどうか。負けるにせよ花のように散れればまだしも、同じ長屋の住民・そで吉に言わせれば「散らばる」という無残な最期を遂げる可能性も否定できない。天下泰平の世で、侍の意義と弱さの肯定を説く。
貧して弱い、長屋の住民は皆、欠点だらけだった。しかし暖かい。長屋のごとく肩寄せ合って生きている。端には共同の厠があり、そこの排泄物は百姓に買われて肥やしとなり、それが正月の餅に変わる。端的に、孫三郎に言わせると「糞が餅になる」。親の遺言を守ろうと、しかし命のやり取りに恐怖を覚える宗左衛門は、人々に触れ、また後家のおさえの心を知り、仇を他のものに変換させた。
何が勝ちかなど関係ない。価値観だって人それぞれ。生きる道、生きる術を見出すこと。それと笑うことが大切だ。