父子愛を描いて、その愛のかたちははいびつに歪んでいるようにも思えたが、考えてみれば愛に正解はなく、一般論も各々の価値観を当てはめているだけのことで、なるほどこういう愛し方もあるのかと、それなら自分に置き換えて父親との関係を見直してみた。僕ほどの年齢になれば、父親と子どもの両方の視点から見ることができるはずなのに、まだ家庭もなく、ましてや息子なんて現実味も帯びず、しかし「父親とは孤独なものだ」というセリフは妙に説得力を感じて、父性の責任を負うことは無理だ。
ロシアの街並は入り組んで、トタンの屋根や石畳などに風情があった。また、立体的な造りをしているのだが、それがやけに平面に見える。セピアカラーも手伝って映像の平坦さが全て絵空事のような。建物の最上階に住む父子は互いを愛し、セットのようなロケのような、その屋上でサッカーを興じたり肩車をしたりして遊んだ。郡を退いた父の息子への溺愛に対し、軍の養成学校に通う息子の父への愛は同情にも似る。
冒頭で悪夢にうなされた息子は父に抱かれてまた眠り、現実にいる父と対話する。ラストに近づき今度は父が、その場にはいない息子と対話する。夢か幻想か、非現実的な世界へのいざないが心地悪く美しい。
アレクサンドル・ソクーロフは「ドルチェ 優しく」で稀有なファミリー・島尾一家のドキュメンタリーを撮り、新作の「太陽」では昭和天皇を題材にした。日本の、しかもスポットの当てづらいところを果敢に挑み、気になる。三部作の最初「マザー、サン」と完結「ブラザー、シスター」ももちろんのこと。