インディペンデントの雄として、ミニシアター系作品が好きな人がジム・ジャームッシュをフェイバリット・ディレクターに挙げる確率はかなり高い思われるが、本作は東京だけでも4つの劇場で公開され、もはや単館ものとも言い難く、配給の熱の入れ様といったら凝りに凝ったその公式サイトの重さに顕著である。そんな拡大公開作はドン・ファンよろしく若い時分に数多くの女性と浮名が立ったドン・ジョンストンが、X-girlsに会いに行くことで過去と向き合う様子を描く。
ドンにピンクの手紙が届き、それには19歳になる息子が訪ねてくるかもしれないと記されていた。20年前に別れた恋人は5人いて、隣人のウィンストンは彼女たちのところへ行けと促す。インターネットで現住所を割り出して計画を寝るウィンストンにほだされて、愛用のフレッドペリーのジャージを脱いでスーツをまとい、ピンクの花束を持ち、ドンは旅立った。バスや飛行機を乗り継ぎ、レンタカーでアメリカを横断する。対向車が通り過ぎて、バックミラーで遠ざかる様を見る。女性と出会い、接し、別れ、また別の女性と出会うという一連が凝縮されているようだった。ウィンストンや昔の恋人たちとのやり取りを通じてドンの、虚無的だが享受するスタンスがうかがえる。
最後、ドンを中心にしてカメラがぐるりと回り、ヴィム・ヴェンダース「アメリカ,家族のいる風景」でも主人公の男、息子とのコミュニケーションを模索する父親を同じように写していたことを思い出した。不器用で不恰好な中年男性に、僕も避けられないだろうから覚悟を決める。