夜よ、こんにちは 真ん中に空洞がある階段は、垂直に見ると階層が全て見える。隣のエレベーターを使わず、皆がその階段を降りて、異様な緊張感をかもす。エレベーターは中から映し、ドアが開いて乗り込もうとする人々は一様に正面、カメラと向き合ってハッとする。きびすを返す。エレベーターの壁には赤い旅団のシンボルマークが描かれていた。乗り込んでしまえば左派に間違えられてしまい、それを恐れて階段を使う。市民や、赤い旅団のメンバー・キアラの不安が充満した。

1978年に起こったキリスト教民主党党首アルド・モロ誘拐殺人事件。実行したのは極左の過激派、赤い旅団だった。イタリア国民に深く刻み込まれているこの事件は、自らも左というマルコ・ベロッキオ監督にとって避けては通れない道だったのだろう。アパートの一室で彼を監禁する団員は4人、その一人である若くて美しいキアラは思想と道徳の合間で揺らいだ。リーダーのマリアーノをはじめ他の3人は、旅団によるプロレタリアート裁判の判決、モロの死刑を全うしようとする。キアラはその現実とはまた別の、モロの開放という夢を見た。

アパートで彼らは小鳥を飼っている。かごに入れられた小鳥は逃げ出して、その行く末は知らぬことになったが、猫に食われるだろうという。自由を求めて奔走しても、それは容易でない時代だった。日本の赤もまた時をおおよそ同じくして名をとどろかせる頃。運動を体験して同世代を強く意識する団塊の、ジュニアとしてはその逆の傾向を踏襲しているように思うが、それがメジャーかマイナーかは分からない。テレビは常についていて、赤い旅団の、世間の声を気にする姿も描かれる。絶対的なものなど少なく、ほとんどの事象が相対的なのだと、改めて感じた。