30年弱生きてきて、僕の人生でエポック・メーキングなできごとは3つあって、その中で最も大きかった、言うなればターニング・ポイントとなったことは、阪神淡路大震災である。
高校卒業は決まっていたが大学は全て不合格、就職する気はさらさらなく、日の4分の3は口を開けているような締まりがない顔だった時、惨事は起きた。よほど人の役になど立ったことがなかった僕は、のうのうと生きているのが申し訳なくなり、時間だけは持て余していたので、ザックを背負って神戸に向かった。激しいショックを受けた。
長田区役所近く、川沿いの細長い公園にテントを張って、ボランティアグループに属し、できることは少なかったが雑用をこなした。そこで受けた衝撃に加えて、初めて人のために事をおこなったという実感を持った。つまり僕はそこで、不謹慎だが、充実していたのだ。感受性も普段以上に高まっていたと思う。
それから、何度かボランティアという名目で神戸へ行った。2度目だったか3度目だったか、須磨区だったか長田区だったか、ピラミッド型の大きなジャングル・ジムがある公園で、復興祈願フリーライブのようなものがやっていた。そこでソウル・フラワー・ユニオンと今は亡きどんとを見る。後にも先にもあれだけ感動したライブは経験していない。“満月の夕”では頬が濡れた。
1月17日を忘れない。そして“満月の夕”を聞く。
- ソウル・フラワー・ユニオン
- ELECTRO AGYL-BOP