秘密のかけら ユダヤ系アメリカ人のラニーは奔放で芸に長けていた。いかにも英国紳士然としたヴィンスはウィットに富んだユーモアを飛ばす。彼らコンビは1950年代のショウビズを席巻したスターだった。しかし彼らが宿泊するホテルの部屋で若い女性の死体が発見されてから、第一線を退くことになる。1972年、野心に満ちた女性ジャーナリスト・カレンがその真相に迫る。

カレンが同業の父に教えられたことは記事の客観性だった。その当時、主観的な文章を書くジャーナリストが多い中、彼女は教えを守ろうとした。しかし、ラニーとヴィンスに関する記事は自身が投影される。所詮、創作物にはノンフィクションなどあり得ない。人が手をかける、手を加えることで客観性は失われる。その度合いの多少で判断するものだろう。カレンは二人に関与しすぎたことにより、ジャーナリズムが失われた。

司会者が紹介する間、幕の裏で出番を待つラニーとヴィンスから映画は始まる。互いを見つめ、視線を外す。事件があり、それが闇に葬られ、それを掘り起こす道程で、冒頭で見せた二人の複雑な表情一つ一つが徐々に解き明かされた。

アトム・エゴヤンは相当に頭脳が明晰なのではないだろうか。しかも理系。時代は前後して、真実と嘘が交錯して、ストーリーはスリリングに展開する。加えて50年代と70年代のゴージャスでグラマラスな映像で、サイケの新しい一面を見た。僕は読解が難しかったことを告白する。とても、1度の鑑賞ではクリアにはならなかった。再度チャレンジの予定。