主人公の男・五十嵐は黙々と歩く。画面左から右へ、そこで見るものや出会う人々と交わりを持ちながら、わらしべ長者のようにつながっていく。臓器提供をするというヤクザ、妻の愛人を殺した板前、火事に遭ったシングルマザー、同時期に死んだ老夫婦。彼らの、人としての善悪は軽視して、五十嵐は黙って付き合った。登場人物は皆、死と隣接していた。カメラは五十嵐が見たものしか映さない。

ある事象が起きてから、五十嵐は歩んだ道を引き返す。画面右から左へ、吹っ切れた様子で、そこにあるものや人々には目もくれない。ことの始まりだった勤め先の工場も通り過ぎて、彼は家路についた。初めて喋る。

五十嵐が歩いた2日間は全てが絵空事のような調子で妻と話をする。夢だったのだろうか。錆びついた工場や桟橋に対して、青空や緑は鮮やかな彩りを見せる。

2003年度公開作品いまだ純新作を2本借りた。三茶ツタヤ決別その1本目。疾走と形容されるSABU監督作品の中で、主人公は留まらないながらも、移る景色はゆっくりと流れた。