この胸いっぱいの愛を 選択のミス、言えなかった言葉、知らなかった真実。悔いを浄化を描く。立教ズの塩田明彦は「黄泉がえり」に続いて本作と、こういう路線を歩むのだろうか。一人だけ天秤がコマーシャリズムに大きく傾いているように思える。

比呂志は出張で北九州に降り立つ。同じ飛行機には若いヤクザ・輝良、影の薄い臼井、盲目の老婦人・角田が同乗していた。しかしそこは1986年にタイムスリップしていた。4人は大なり小なりの心残りがこの地にある。1年間だけここで旅館を営む祖母に預けられ比呂志にとって、それは好きだった近所の年上の女性・和美を難病で亡くしたことだった。比呂志たちには触覚があっても痛覚がない。タイムスリップの原因は飛行機事故で、比呂氏は既に死人であることを自覚する。死にゆく和美を救うために、比呂志はその時代にいる幼少の自分を導き、自らも歴史を変えるために駆け回る。

4人とも20年前の北九州にターニングポイントがあるという偶然。悔い改めると彼らは消える。彼らと接した人間が、消えた時のリアクションは映されない。重要なのはタイムスリッパーたちの死への道程だった。時空を歪めて生死の境目も曖昧になると、描写設定が難しい。クライマックスのシーンは20年前と現在が渾然一体となって、登場人物の理想郷が描かれる。ジェームズ・キャメロン版「タイタニック」を思い出した。

思い出したといえば、比呂志が決意を胸に港を歩く場面は「あいのり」を彷彿させた。和美への気持ちを確かめてボイスオーバーをバックに、チケットを受け取りにラブワゴンへ向かう。集中力を高めなければ。