ジプシーのとき 流浪の民が小さな集落を形成している。まず、信心深い彼らの生活を1カットで捉えた。ドラマテッィクな言い回しで会話が展開する。少年ペルハンは、そこで魔術師の祖母と気のふれた叔父、足を病んだ妹ダニラと貧しく暮らしていた。彼は働かず、恋人アズラとの結婚を彼女の母親に反対されている。ペルハンの祖母に、息子の病気を治療してもらった富豪のアーメドは、ダニラの手術代を負担すると約束して、ペルハンと共に車で町の病院へ向かった。しかし二人はアーメドに利用されることになる。

悪事を働くことを拒んだペルハンがなぶられた。土砂降りの夜、裸で泥の上に大の字になったペルハンを、アーメドの幼い息子が思いやる。肌身離さず持っている人形をペルハンの腹に置いて、自分はペルハンの腕に抱かれるように寝て彼に触れる。堅気の仕事などありつけず、それでも家族のために稼がなければならない。幼子に諭された。

本作の監督エミール・クストリッツァも、トニー・ガトリフ同様にロマ民族に関する作品が多い。ガトリフがそのルーツを受け継いでいるのに対して、クストリッツァは血縁はないが彼ら民族と密着した生活を送っていたらしい。大学時代に僕はロマ民族に関する卒業論文を書いた。ゼミのディベートで「ジプシー」を不用意に何度も口にした僕は、韓国からの留学生に差別用語の指摘を受け、それからというもの国を持たないこの民族についての関心が沸き、論文に至る。

ペルハンが祖母に亡き母のことを尋ねると、祖母は不治の病にかかったと答えた。病気を治すために向かったところは、まず祈祷師、次に神が祭られるモスク、最後に病院。ロマが何に重きを置いているかが分かる。映像でも夢と現実が徐々に混同して幻想的な世界を作り、彼らの死生観が漂う。