小学生のヤンヤン、その姉ティンティン、父NJ、母ミンミン、祖母という一つの家族を中心に、くさぐさの世代の葛藤を切り取る。監督のエドワード・ヤンは「恐怖分子」のオープニングにも見られるように群像の描き方に長けている。
ミンミンの弟アディの結婚式で、様々なことが起こった。彼の元恋人が現れて修羅場を迎える。NJも会場で若い頃に付き合っていたシェリーと偶然再会する。祖母は具合が悪いと言って式の途中で帰り、その直後に脳卒中で植物状態となる。医者はなるべく彼女に話しかけるようにと、それから家族それぞれは答えない祖母と対話するようになった。
祖母が倒れたことに自責を感じている高校生のティンティンは泣きながら許しを請い、誰よりも意識挽回を願った。マンションの同じフロアに住む同級生と仲が良かったが、彼女の恋人を挟んだ関係がこじれて傷心する。祖母との対話から自らの単調さに気づいたミンミンは鬱となり、導者を求めて山にこもった。住職が家を訪ねてくる。リアリストのNJと信仰を説く住職は相容れない。彼の現実主義はヤンヤンに受け継がれ、祖母に「息子は僕に似ています」と語る以前からそれは見てとれた。ミンミンが留守の間、NJはシェリーと会い、途絶えた関係のやり直しを考える。
映画祭におけるアジア映画2本目は台湾もの。対照美というのか、アディ・ミンミン・NJ各々が三角関係に思い悩む姿をリンクさせる。3時間の長い映画だが、百般が凝縮されていた。コントラストだけでなく、立体的な考え方もしかり。視覚的思考に疑問が生じたヤンヤンは人間の後頭部を写真におさめ、それを当人に渡す。時間の概念にも執着した。「毎日が同じ繰り返し」と言う者もいれば「毎朝が新しく、同じ日はない」と言う者もいる。見所が多い。