奇しくも学生運動ものが2日連続。この分野に明るくなく、さして興味があるわけでもない。結果として知識が豊富になったということもない。藤田敏八の監督作品も初めてだ。完成から30年以上もお蔵入りされていた事実がそそった。

ヒッピー、自衛隊員、学生活動家。1968年当時の様々な若者を追う。ヒッピーの少女は「今の自分は本来の姿ではない」と言う。若気の悩みは今と変わらない。厳しさを求めて入隊した青年は予想外の生ぬるさに拍子抜けする。たぎる気持ちも不変。革命を夢見る東大生の活動家は行動を起こしたい。母親が被爆者である彼の、ルーツを探りたい気持ちも世の常だ。別個なものに所属して、もしくは何ものにも所属しないとして、彼らは激動の時代で青春を過ごす。それでも皆の喋り口調は一様だ。流行に囚われなくても、どこかで共通項がある。

東大生の活動家は、恋人を連れて広島へ旅立った。母親と同じ被爆者を訪ねる。熱い思想を持って、被爆者である旅館の女中と議論を交わす。はじめは息巻いて自分の主義主張をまくし立てる彼であったが、それは机上の空論だった。女中の言葉が重い。彼は恋人の前でどんどん小さくなる。

ラストは混乱期を示す若者の声高なセリフで締める。「一分一分が身を切られる思い。未来は分からないが、腐った現状には任せられない。」空白の30年の間で、これが杞憂だったのかどうか。分からない。