考えてみたらイラン出身監督で観賞したことのある映画は、短編を除くとアッバス・キアロスタミとモフセン・マフマルバフだけだった。それではいけないということでアボルファズル・ジャリリ監督作。イラン映画ではオープニング時にペルシア文字でタイトルが記されることが多い。習字のようなその美しい形容。

まず字幕がない。事前情報としてそれは分かっていたが、主人公である少年と少女の交流以外はストーリーもあまりない。瓦礫を作る10歳前後の少年を少女が見つめる。目が合うと少女は微笑んだ。屈託のない笑みは二人の距離を縮める。その間に、住民の顔と動きが断片的に挿入されている。

手に焦点が当てられた。少女は掌で押して作った手をかたどった瓦礫を、少年は手の形をした金属製のシンボリックなお守りをそれぞれに渡す。それが愛情表現になる。言葉を交わさない代わりに、表情とりわけ目で相手を思いやる。その表情やしぐさ、動作は断片映像にリンクした。穴を覗く目、日にかざす手。チャイを飲み、泣いた後に笑う。全てが切れるわけではない。