キム・ギドクは韓国映画界で最も評価の高い監督であろう。韓国は日本以上の学歴社会らしい。小卒の彼はそのハンディ・キャップを諸共せず、見事ここまで登りつめた。日本人に例えるなら安藤忠雄か。イマジネーションとクリエーション、そのアウトプットのバランスが現在の映画監督の中で最も長けているように感じる。画家出身ならではの端的で美しい映像、底辺を歩んできた土壌からなる強いストーリー。僕は彼の映画を劇場で鑑賞できる喜びをかみしめる。
女子高生のチェヨンは、親友のヨジンとヨーロッパ旅行をするために援助交際をしている。自分を買った男の素性を知りたがりる天真爛漫さは聖母のようだった。常に幸せを望んでいるため、事故で重症を負い、息を引き取ってなお笑顔を絶やさない。明るさは即ちはかなさであると、それは最初から感じ取れた。
チェヨンの売春の仲介、管理、見張りをこなしていたヨジンは、彼女亡き後に巡礼をする。それはチェヨンを抱いた男に自身も抱かれ、金を返すこと。自分が見張りを怠ったが故にチェヨンが窓から飛び降りたと、そう思っている。貞操観念が強く金で性欲を満たす男を蔑んで、大体において眉間にしわを寄せていたヨジン。しかしチェヨンと同じ行為をすることで、表情が彼女に似てくる。
警察官のヨンギは妻は亡くし、娘のヨジンへ多大な愛情を注いでいる。娘の売春を偶然目にした彼は苦悶する。季節は秋、車の中で佇むヨンギから徐々にカメラが引き、枯葉がガラスに張り付く様を含めて捉えるととみにもの悲しい。抱いた男を次々に制裁を加え、それはエスカレートして相手を死に至らしめるようになった。
笑顔に短いスカートのチェヨンと仏頂面に長い丈のヨジン。ヨジンの巡礼とヨンギの復讐。それぞれの前者を、後者が追いかける。コントラストが胸に響く。