最近映画監督を多く輩出している大阪芸術大学というカテゴリーで2本借りる。1本目は熊切和嘉監督作「鬼畜大宴会」。

今現在ではなく、舞台を過去(もしくは未来)にすることの意義は何だろう。その時代背景でしか生まれないであろう秩序や世界観でなければ描けないからだろうか。またはその時代に思い入れがあるとか。日本の1960~70年代は学生運動が盛んだった。暴力性が前面に出た時代かもしれない。熊切和嘉は1974年生まれで僕と同世代、当時の状況を実際に見ていない。テレビや本、親の体験談などでその狂気を知ったのだと思う。

ある学生運動グループのカリスマリーダー相澤が獄中で自害する。彼の出所を待っていたメンバーが彼の死を境に狂い、連鎖する。せまい世界ゆえのルールのもろさが描かれていた。相澤の恋人だった雅美がエゴ丸出しで指揮をとる。彼女の欲望とメンバー個々の欲望が絡む。相澤と刑務所で知り合い、出所後にその学生運動グループに参加した藤原は、俯瞰の視点で彼らが狂うさまを見ていた。血しぶきが付着した日の丸に、藤原が日本刀を刺す。ドン、ドン、ドンと壁に刀が当たる。次に刀を振ると、場面は転化して無音で息の根を止める。そして彼も正常ではなく、ピリオドをうった。

これが大学の卒業制作。提供:松畜には笑った。セックスと暴力は世界共通で時代を超越する。