初めてブログを書く。ブログを書くというより日記を書く感覚である。
といっても、これまで日記すら書くような性分では決してない。でも25歳。節目の年だ。はじめようと思う。
昨日はワクチンを打ってきた。1回目であった。そのせいか、今日は明け方より左肩に激痛が走っている。
中学校の時に、暴力的な友人から肩パンされた時の痛みにすごく似ている。
副作用なのかこれは?ただのへたくそな看護士が注射を打ったためじゃないのか?なんて思ったが90%程度は抱える痛みらしい。
10%に入りたかった。
そんなつまらないことを感じる負けず嫌いな性が最近では少し嫌いである。
痛みを抱えながらも、研究室の打ち合わせがある。スライドづくりに励んだ。
午後になり、打ち合わせが始まった。10人程度が所属しており、一人10分程度で発表および質疑を行う。
予定通り進めば2時間かからない程度で終われるものである。しかし、1度もその時間に追われたことはない。
なんなら、その倍程度かかることもしばしばある。
そう、時間通りに発表せず、質疑も普段研究室でやり取りしていればする必要のないものを永遠にしている人がいるのだ。
私は、これまでそのように人の悪いところばかり目に行く人間であった。
いつだっただろうか。先月当たり、オンライン英会話で出会ったすがすがしいほどさわやかな少年が言っていた一言が忘れられずにいる。
「僕は人のいいところを探し続けている。いいところにしか目がいかない。」
当たり前のようなことを言っているようで、自分にはかなり刺さったものだ。
これは明らかに習慣であるだろう。
負けず嫌いな自分は、とにかく相手に競り勝てるように。そして総合的に負けてしまっていたとしても部分的に勝ててるはずだ。
永遠に相手のあら捜しをして、自分の優位性に安堵することを繰り返してきた人生であった。
そんな自分と真反対のような、太陽のような人間であった。
と同時に、習慣でなんとか修正できるのならば、このような人間に向かって歩んでいこう。
そう誓ったのである。
ミーティングが始まり、時間を延長させる原因の彼女がやってきた。
いつもならふつふつと怒りがこみ上げてくる時間帯となった。
私は意図的に、彼女を分析した。
育児をしながら、30代となりながらも、必死に食らいついていく。
許される時間内で得れる情報に飛びつき、深ぼっていく。
わからない部分を理解するために、別のミーティングを教授と1対1で行う約束をする。
誰しもが、自分のように日中に研究室に来て仲間と議論を行える環境にあるわけではない。
そう思った時、なにか肩の荷が下りたような気がした。
当たり前の環境を当たり前と思っていた。
少しずつ優しい人間になれるのかもしれない。