で、できたーっ!
やっと講演の原稿&抄録ができました。
原稿はワード15枚にびっしり。これで20分話せるかなあ。
こんな時間まで起きてたのは久しぶりです。かなり眠い。でも完成したから、今日はやっと心おきなく眠れそう。
よし、寝るぞー。
原稿はワード15枚にびっしり。これで20分話せるかなあ。
こんな時間まで起きてたのは久しぶりです。かなり眠い。でも完成したから、今日はやっと心おきなく眠れそう。
よし、寝るぞー。
わんぱくすぎ・・・
祖母のことであたたかいメールやコメントをたくさん戴きまして、ありがとうございました!大丈夫です、すっかり元気です(っていうのもちょっとおかしいかな)。
週末は実家に1泊してきました。やっぱり母のことが気になったので。。。でも母も少しずつ吹っ切れてきているようです。これからは、看病時代にできなかったことをたくさんするのだそう。孫(私の息子)といっぱい遊んでたくさん思い出を作るのだそう。良かった良かった。
私はというと・・・今、結構忙しくていろいろ大変です。仕事は今日一段落したのだけど、週末の講演会の準備が全然出来ておりません。そうこうしているうちに「抄録送ってくださいー」と連絡が来てしまい、ひーひー言ってます(心の中だけ)。
そしてこんな日に限って息子は園から帰ってきたらずーっとママ、ママ、ママ、ママで。
そういえば、息子は相当活発というかわんぱくくんらしい。私は息子一人しか知らないから何とも言えないけど、男女合計4人育てた母が「こんな活発な子、見たことないよ」というくらい。ずーっと動き回ってます。座って遊ぶ、なんてことはまずありません。
最近はいろいろなものによじ上るのがブームで、いす、机、階段・・・何にでも上ります。一段高くなったところがあれば必ず上ります。目を離せないからとっても困る。。。母は「保育園に行ってくれてなかったら無理だよ!」と言ってました。本当にそうなんですよー。一日一人で見るのは絶対無理です。
まあ、元気な証拠だからいいのかな。
普段は良いとしても・・・来週旅行に行くのですが、その機内はどうなっちゃうんだろうか。座っているわけがないけど、やたらと立ち歩くわけにもいかないし。今からドキドキ・・・いや、ドキドキというよりちょっとユウウツです。私も夫も到着する頃には疲れ果てているでしょう。。。
まだいろいろと書きたいことがたくさんあるのだけど、とりあえず講演の準備しなきゃ。がんばります☆
週末は実家に1泊してきました。やっぱり母のことが気になったので。。。でも母も少しずつ吹っ切れてきているようです。これからは、看病時代にできなかったことをたくさんするのだそう。孫(私の息子)といっぱい遊んでたくさん思い出を作るのだそう。良かった良かった。
私はというと・・・今、結構忙しくていろいろ大変です。仕事は今日一段落したのだけど、週末の講演会の準備が全然出来ておりません。そうこうしているうちに「抄録送ってくださいー」と連絡が来てしまい、ひーひー言ってます(心の中だけ)。
そしてこんな日に限って息子は園から帰ってきたらずーっとママ、ママ、ママ、ママで。
そういえば、息子は相当活発というかわんぱくくんらしい。私は息子一人しか知らないから何とも言えないけど、男女合計4人育てた母が「こんな活発な子、見たことないよ」というくらい。ずーっと動き回ってます。座って遊ぶ、なんてことはまずありません。
最近はいろいろなものによじ上るのがブームで、いす、机、階段・・・何にでも上ります。一段高くなったところがあれば必ず上ります。目を離せないからとっても困る。。。母は「保育園に行ってくれてなかったら無理だよ!」と言ってました。本当にそうなんですよー。一日一人で見るのは絶対無理です。
まあ、元気な証拠だからいいのかな。
普段は良いとしても・・・来週旅行に行くのですが、その機内はどうなっちゃうんだろうか。座っているわけがないけど、やたらと立ち歩くわけにもいかないし。今からドキドキ・・・いや、ドキドキというよりちょっとユウウツです。私も夫も到着する頃には疲れ果てているでしょう。。。
まだいろいろと書きたいことがたくさんあるのだけど、とりあえず講演の準備しなきゃ。がんばります☆
この1週間のこと。
8/22日の夜遅くに祖母が亡くなり、バタバタしていました。
祖母はずっと富山で一人暮らしをしていましたが、リュウマチや脳内出血の後遺症で手足が不自由ということもあり、昨年8月に神奈川の父母の家の近くにある老健(介護老人保健施設。介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指すためにリハビリなどを行う施設)に来たのですが、一人で不自由でも住み慣れた家が良い、ということで、昨年12月中旬に富山に帰ることになっていました。しかし富山に戻る2週間程前になって急に高熱で動けなくなりました。最初はインフルエンザでしょうということだったのだけど、どうやっても熱は下がらず、そのうちに黄疸も出始め、これはおかしいということで検査をした結果、末期癌と判明しました。
その時点で余命2週間と言われたのですが、その後、祖母の頑張りと母の必死の看病のかいあって容態は少し安定し、2月から父母の家で在宅介護となりました。しかし段々と容態は悪くなり、先週始めには「今週いっぱいもつかどうか・・・」と。先週私が急遽実家に帰省したのは、祖母とのお別れのためでした。祖母にたくさんお話をして、抱きしめました。
祖母が息を引き取ったのは、ちょうど私が自宅に戻った日の夜。もう1泊していれば看取れたのにと思うと残念ですが、息子もいるから私たちが居たら祖母も落ち着かなかったかも。
祖母は、異変に気づいた母が家族全員を集め、父、母、妹、弟に手をにぎられ、足をさすられ、「大丈夫だからね」と声をかけられながら、苦しむこともなく、少しずつ少しずつ呼吸を止めて行ったそうで、とてもおだやかな最期だったそうです。本当にきれいな顔をしていました。半年以上寝たきりだったのに床ずれなどもまったくありませんでした(母がとてもまめに体の向きを変えたり背中をさすったりしていましたから)。
もし祖母の発病があと2週間遅かったら、祖母は富山に帰っていたわけだから、こんな幸せな最期ではなかったかもしれません。母もずっと 付きっきりではいられなかっただろうし、妹や弟は看取れなかったでしょう。そういう意味では、すごくラッキーだったのかもしれない。
病院で亡くなる方や孤独死も多い中、これ以上ないというくらい幸せな最期だったのだと思いたい。
人が生まれるのも、人が亡くなるのも、自宅だと自然で当たり前のことだと感じられます。
ちょうど祖母が亡くなった時間、寝ていた息子が目を覚まして泣きました。私が手が離せなかったので夫が先に寝室に向かってあやし始めた頃、電話が鳴って、祖母の死を知りました。ただの偶然?それとも息子は何か感じたのかな。
連絡を受けてから、夫と息子と3人で実家へ向かいました。着いてからは、父、母、2人の妹、弟、夫、私、息子、みんなで、祖母の体を浄めて着物を着せて、髪をとかし、メイクもしてあげました。
翌日はお昼過ぎに一旦帰宅し、保育園の夏祭りへ。
大切な人が亡くなった翌日に夏祭りなんて・・・と思ったけど、息子が楽しみにしていたようだし(大きいクラスの子の盆踊りの練習を見て、毎回一緒に踊っていたとのこと)、祖母も楽しいことが好きだったし、と思って、家族三人で浴衣で出かけました。すごく楽しいお祭りでした。息子もおおはしゃぎで楽しんでいたようでした。私も少し、明るい気持ちになれました。
日曜は、喪服を買いにデパートへ。いずれ必要になるということは分かっていたんだけど、祖母が生きているうちに喪服を買うなんて絶対に嫌だったから買わずにいました。うちにある黒のスーツで済ませてもいいかなと思ったけど、祖母はここぞという場での服装やマナーを大切にする人だったから、やっぱりちゃんと買おうと決めました。高くてびっくりしたけど、長く着られそうだし、まあいいかな(って、喪服を着る機会なんて少ない方がいいんだけど)。
夫は、祖母との思い出の日本酒を池袋まで買いに行ってくれました。祖母と夫と私で立山に行ったときに飲んだ日本酒。祖母もとても気に入って、おかわりしていました。それから祖母は何回もその日本酒を送ってくれたっけ。。。もう一回一緒に飲みたかったなあ。
実家に戻ったら、祭壇が作られていました。祖母が寝ているベッドの周りにはたくさんの花が飾られ、まるでお花畑の中に横たわっているようでした。夫が買ってきてくれた思い出の日本酒を、さっそく祖母に飲ませてあげました。
夕食は、祖母が好きだったうなぎをみんなで食べました。私はうなぎが嫌いなんだけど・・・嫌いだったはずなんだけど・・・めちゃくちゃおいしいうなぎで、ぺろっと食べてしまった。今まで、まずいうなぎしか食べたことなかったのかな、わたし(汗 祖母のおかげで好きなものが増えました。
翌日は朝から葬儀でした。
祖母はクリスチャンだったので、キリスト教式で執り行いました。キリスト教式のお葬式はシンプルです。お祈りと、お説教と、賛美歌、それくらい。お経もないし、お焼香もありません。初めての方は違和感があるみたいだけど、私は祖父の時もこんな感じだったので、逆に仏式の方がなんとなく難しいと感じるくらいです。
葬儀のあと、祖母を棺に入れて、ベッドの周りに飾っていたお花を全部棺に入れました。本当に、お花畑に眠るようでした。
そして車4台に分かれて火葬場へ。途中、なんと、牧師さんとその他の参列者を乗せたタクシーが、父・妹・弟が乗る車に追突する事故発生!すごいアクシデントです。。。大けがはなかったけど、車は結構すごいことに。トランクが閉まらない。大事に至らなくてよかったけど、びっくりしました。
骨壺一つになってしまった祖母を見ても、まだ実感がわかないと言うのが本音です。これからじわじわと実感しはじめるのだろうか。
私は、母のことをとても心配していたのだけど、私が想像していたほどではありませんでした。不謹慎かもしれないけど、やり遂げた、満足した、という表情も見えました。8ヶ月におよぶ看病生活、座って食事も出来ないような忙しい日々だったみたいだけど、ちゃんと祖母を看取れたから良かったのかな。もしも12月に亡くなっていたら、母はこんな表情はできなかったんじゃないかと思います。看病生活は心身共に大変なものだったのだろうけど、離れて暮らした6年間を埋めてくれる時間でもあったんじゃないかと思っています。
祖母が、余命2週間と言われながら8ヶ月頑張ってくれたことは、私にとっても嬉しく、有り難いことでした。昨年祖母が倒れた日、実はその3日後にうちに泊まりにくることになっていたのです。それくらい、何の兆候もなかったし、祖母はまだまだ長生きするものだと普通に思っていたから、そんなに急に逝かれてしまったのでは本当に私もどうなっていたことか・・・。8ヶ月かかってやっと少しずつ心の準備ができてきた気がします。
今は、もちろん悲しいし寂しい気持ちもあるけれど、祖母との思い出を大切に、家族仲良く、祖母の血を引く息子を大事に育てていこうと思っています。
いつまでも悲しんでいることなんて祖母も望んでいないと思うしね!
祖母のことでは息子に随分と助けられました。祖母の血が息子にも流れているんだ、って思うだけで慰めになったし、祖母が亡くなってからも、息子のお世話が忙しくて悲しんでいる暇もあまりないし、息子の明るさ(事情をまったくわかっていないからね・汗)のおかげで場が和んだりもしたし。
母にとっても、孫が居るというのはいろいろと励みになるんじゃないかしら。しばらく、母とも密に接して、少しでも悲しみを癒してあげられたらと思っています。
祖母はずっと富山で一人暮らしをしていましたが、リュウマチや脳内出血の後遺症で手足が不自由ということもあり、昨年8月に神奈川の父母の家の近くにある老健(介護老人保健施設。介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指すためにリハビリなどを行う施設)に来たのですが、一人で不自由でも住み慣れた家が良い、ということで、昨年12月中旬に富山に帰ることになっていました。しかし富山に戻る2週間程前になって急に高熱で動けなくなりました。最初はインフルエンザでしょうということだったのだけど、どうやっても熱は下がらず、そのうちに黄疸も出始め、これはおかしいということで検査をした結果、末期癌と判明しました。
その時点で余命2週間と言われたのですが、その後、祖母の頑張りと母の必死の看病のかいあって容態は少し安定し、2月から父母の家で在宅介護となりました。しかし段々と容態は悪くなり、先週始めには「今週いっぱいもつかどうか・・・」と。先週私が急遽実家に帰省したのは、祖母とのお別れのためでした。祖母にたくさんお話をして、抱きしめました。
祖母が息を引き取ったのは、ちょうど私が自宅に戻った日の夜。もう1泊していれば看取れたのにと思うと残念ですが、息子もいるから私たちが居たら祖母も落ち着かなかったかも。
祖母は、異変に気づいた母が家族全員を集め、父、母、妹、弟に手をにぎられ、足をさすられ、「大丈夫だからね」と声をかけられながら、苦しむこともなく、少しずつ少しずつ呼吸を止めて行ったそうで、とてもおだやかな最期だったそうです。本当にきれいな顔をしていました。半年以上寝たきりだったのに床ずれなどもまったくありませんでした(母がとてもまめに体の向きを変えたり背中をさすったりしていましたから)。
もし祖母の発病があと2週間遅かったら、祖母は富山に帰っていたわけだから、こんな幸せな最期ではなかったかもしれません。母もずっと 付きっきりではいられなかっただろうし、妹や弟は看取れなかったでしょう。そういう意味では、すごくラッキーだったのかもしれない。
病院で亡くなる方や孤独死も多い中、これ以上ないというくらい幸せな最期だったのだと思いたい。
人が生まれるのも、人が亡くなるのも、自宅だと自然で当たり前のことだと感じられます。
ちょうど祖母が亡くなった時間、寝ていた息子が目を覚まして泣きました。私が手が離せなかったので夫が先に寝室に向かってあやし始めた頃、電話が鳴って、祖母の死を知りました。ただの偶然?それとも息子は何か感じたのかな。
連絡を受けてから、夫と息子と3人で実家へ向かいました。着いてからは、父、母、2人の妹、弟、夫、私、息子、みんなで、祖母の体を浄めて着物を着せて、髪をとかし、メイクもしてあげました。
翌日はお昼過ぎに一旦帰宅し、保育園の夏祭りへ。
大切な人が亡くなった翌日に夏祭りなんて・・・と思ったけど、息子が楽しみにしていたようだし(大きいクラスの子の盆踊りの練習を見て、毎回一緒に踊っていたとのこと)、祖母も楽しいことが好きだったし、と思って、家族三人で浴衣で出かけました。すごく楽しいお祭りでした。息子もおおはしゃぎで楽しんでいたようでした。私も少し、明るい気持ちになれました。
日曜は、喪服を買いにデパートへ。いずれ必要になるということは分かっていたんだけど、祖母が生きているうちに喪服を買うなんて絶対に嫌だったから買わずにいました。うちにある黒のスーツで済ませてもいいかなと思ったけど、祖母はここぞという場での服装やマナーを大切にする人だったから、やっぱりちゃんと買おうと決めました。高くてびっくりしたけど、長く着られそうだし、まあいいかな(って、喪服を着る機会なんて少ない方がいいんだけど)。
夫は、祖母との思い出の日本酒を池袋まで買いに行ってくれました。祖母と夫と私で立山に行ったときに飲んだ日本酒。祖母もとても気に入って、おかわりしていました。それから祖母は何回もその日本酒を送ってくれたっけ。。。もう一回一緒に飲みたかったなあ。
実家に戻ったら、祭壇が作られていました。祖母が寝ているベッドの周りにはたくさんの花が飾られ、まるでお花畑の中に横たわっているようでした。夫が買ってきてくれた思い出の日本酒を、さっそく祖母に飲ませてあげました。
夕食は、祖母が好きだったうなぎをみんなで食べました。私はうなぎが嫌いなんだけど・・・嫌いだったはずなんだけど・・・めちゃくちゃおいしいうなぎで、ぺろっと食べてしまった。今まで、まずいうなぎしか食べたことなかったのかな、わたし(汗 祖母のおかげで好きなものが増えました。
翌日は朝から葬儀でした。
祖母はクリスチャンだったので、キリスト教式で執り行いました。キリスト教式のお葬式はシンプルです。お祈りと、お説教と、賛美歌、それくらい。お経もないし、お焼香もありません。初めての方は違和感があるみたいだけど、私は祖父の時もこんな感じだったので、逆に仏式の方がなんとなく難しいと感じるくらいです。
葬儀のあと、祖母を棺に入れて、ベッドの周りに飾っていたお花を全部棺に入れました。本当に、お花畑に眠るようでした。
そして車4台に分かれて火葬場へ。途中、なんと、牧師さんとその他の参列者を乗せたタクシーが、父・妹・弟が乗る車に追突する事故発生!すごいアクシデントです。。。大けがはなかったけど、車は結構すごいことに。トランクが閉まらない。大事に至らなくてよかったけど、びっくりしました。
骨壺一つになってしまった祖母を見ても、まだ実感がわかないと言うのが本音です。これからじわじわと実感しはじめるのだろうか。
私は、母のことをとても心配していたのだけど、私が想像していたほどではありませんでした。不謹慎かもしれないけど、やり遂げた、満足した、という表情も見えました。8ヶ月におよぶ看病生活、座って食事も出来ないような忙しい日々だったみたいだけど、ちゃんと祖母を看取れたから良かったのかな。もしも12月に亡くなっていたら、母はこんな表情はできなかったんじゃないかと思います。看病生活は心身共に大変なものだったのだろうけど、離れて暮らした6年間を埋めてくれる時間でもあったんじゃないかと思っています。
祖母が、余命2週間と言われながら8ヶ月頑張ってくれたことは、私にとっても嬉しく、有り難いことでした。昨年祖母が倒れた日、実はその3日後にうちに泊まりにくることになっていたのです。それくらい、何の兆候もなかったし、祖母はまだまだ長生きするものだと普通に思っていたから、そんなに急に逝かれてしまったのでは本当に私もどうなっていたことか・・・。8ヶ月かかってやっと少しずつ心の準備ができてきた気がします。
今は、もちろん悲しいし寂しい気持ちもあるけれど、祖母との思い出を大切に、家族仲良く、祖母の血を引く息子を大事に育てていこうと思っています。
いつまでも悲しんでいることなんて祖母も望んでいないと思うしね!
祖母のことでは息子に随分と助けられました。祖母の血が息子にも流れているんだ、って思うだけで慰めになったし、祖母が亡くなってからも、息子のお世話が忙しくて悲しんでいる暇もあまりないし、息子の明るさ(事情をまったくわかっていないからね・汗)のおかげで場が和んだりもしたし。
母にとっても、孫が居るというのはいろいろと励みになるんじゃないかしら。しばらく、母とも密に接して、少しでも悲しみを癒してあげられたらと思っています。
実家にお泊まり
昨晩、ワケあって(夫と喧嘩とかじゃないよ)雷の中、急遽帰省しました。といっても実家はうちから1時間程なのですが。
うちを出たのがちょうど8時頃で息子がいつも眠る時間と重なったということもあり、道中はずっと眠っていてくれたのでラクでした。実家に着いて下におろしたら起きたのだけど、全く泣かずに周りをきょろきょろ。父、母、妹、いろんな人に取り囲まれて最初はきょとんとしていましたが、わりとすぐに状況が分かったらしく、そしてあまりにもみんなが構ってくれるので大興奮し、11時くらいまで遊んでいました。こんなに夜遅くまで起きてたのは産まれてから初めてだと思います・・・。
いつもは、私はゆっくりお風呂に入るなんてできないのに(息子が起きてママ~って泣くんだもん)、たくさんの人に構い倒されているからかまったくぐずらず、私は産後こんなにゆっくりお風呂に浸かったのは初めて!っていうくらいのんびり入浴できました。
夜中も、11時に眠ってからは一度も起きずに朝を迎えました。奇跡!!!
今日も実家ではまったくぐずることなく過ごしました。たくさんの人が居て誰かしら構ってくれるからかなあ。やっぱり核家族より大家族の中で過ごした方が子育てもしやすいし、子供にも良いのかも、ってしみじみ思いました。
昨晩夜更かしさせちゃったので、生活リズムが崩れたのではと心配だったんだけど、今朝もいつも通り6時過ぎに起きて、お昼寝もいつもと変わらず、夜はまた8時前に眠りにつきました。そして今9時半なのですが、この間、一度も起きていない!!!これも奇跡です。ちょっと心配になって、さっき呼吸してるか確認しに行ってしまった(苦笑 すやすや眠っていたのでほっとしました。
私もなんだか疲れたから、そろそろ寝ようかなー。昔は22時なんて普通に会社で仕事してたのに、今となっては22時前に眠ることも珍しくない。。。こんな自分にびっくりです。
うちを出たのがちょうど8時頃で息子がいつも眠る時間と重なったということもあり、道中はずっと眠っていてくれたのでラクでした。実家に着いて下におろしたら起きたのだけど、全く泣かずに周りをきょろきょろ。父、母、妹、いろんな人に取り囲まれて最初はきょとんとしていましたが、わりとすぐに状況が分かったらしく、そしてあまりにもみんなが構ってくれるので大興奮し、11時くらいまで遊んでいました。こんなに夜遅くまで起きてたのは産まれてから初めてだと思います・・・。
いつもは、私はゆっくりお風呂に入るなんてできないのに(息子が起きてママ~って泣くんだもん)、たくさんの人に構い倒されているからかまったくぐずらず、私は産後こんなにゆっくりお風呂に浸かったのは初めて!っていうくらいのんびり入浴できました。
夜中も、11時に眠ってからは一度も起きずに朝を迎えました。奇跡!!!
今日も実家ではまったくぐずることなく過ごしました。たくさんの人が居て誰かしら構ってくれるからかなあ。やっぱり核家族より大家族の中で過ごした方が子育てもしやすいし、子供にも良いのかも、ってしみじみ思いました。
昨晩夜更かしさせちゃったので、生活リズムが崩れたのではと心配だったんだけど、今朝もいつも通り6時過ぎに起きて、お昼寝もいつもと変わらず、夜はまた8時前に眠りにつきました。そして今9時半なのですが、この間、一度も起きていない!!!これも奇跡です。ちょっと心配になって、さっき呼吸してるか確認しに行ってしまった(苦笑 すやすや眠っていたのでほっとしました。
私もなんだか疲れたから、そろそろ寝ようかなー。昔は22時なんて普通に会社で仕事してたのに、今となっては22時前に眠ることも珍しくない。。。こんな自分にびっくりです。
