月辺だまいどだ!!

なんか最近、自分がどんどん厄介オタクの階段を登っている気がする。推しの解釈モンペみたいな。

 

いやね、グラハム・エーカーってね、ちゃんと追っかけていくと感じるのは「どこがネタキャラだよ!!!」なんだよね

あれを面白おかしく消費できるってちょっと……自分にはとてもじゃないが無理っすわ……(誤解なきように言っておきたいが、特定の個人とか作品が云々ってことではないです✋あくまでも月辺はグラハム・エーカーを「まっすぐに生きようとしすぎたが故に何処か滑稽に見えてしまう真面目びと」だと定義づけていますよ、という話。)

 

「政治的人間」という言葉があるそうだが、グラハムは多分それなんだと思うんだな

“孤児”であったこと 常に“不自由”を感じていたこと そしてその損なわれた自由が“空”にこそあると思ったこと、、、それら3点は軍人を志した理由を構成する要素であって答えそのものでは無い気がする

例えばふと見上げた空を突っ切って雲を切り裂いていく戦闘機がひどく自由に見えて、まるで鳥みたいだと感じたとか あとはよくある話で軍の慈善活動(ボランティア)が養護施設とかに身近だったから自分も恩送りをしたいと思ったとか……兎に角軍に属する人間を英雄視する何事かがあったはずだ

空を飛びたい!→そうだ戦闘機パイロットだ!はちょっとグラハム・エーカーというキャラクターの思慮分別にしっくりこないというか。以前アニ◯ージュさんのインタビューでN村氏が似たようなことを仰っていたのだけれど、「技術的なファクターに興味・関心のある」性格なのだろうと月辺思っていて。そう考えると寧ろテスト・パイロットとか宇宙局みたいなところの方が似合いそう。

何より、グラハムに愛国心らしきものは感じられない。そこが、私が彼を好きな理由だったりする

彼は恐らく、「特定の個人ないし団体」に膝を折る・伏するタイプの人間じゃないのだ。彼が崇めるのはルールであり、それを遂行するための組織であり、もっと抽象的なところでは「正義」や「自由」「愛」のイデアだろう(追い求め方も導き出した答えも間違いだらけだが、彼が目指すものは美しい)。

少々生意気なところがあり、また思索家で自負も強いため、常に「自分で」頭を垂れるべき相手や命令を決めている、そんなイメージ。最高司令官(ホマおじ)相手にさえ、「彼が軍の(元)最高司令官だから」リスペクトを覚えていた訳ではなく、抜き身の刀のように鋭く、(歪んだ思想ではあるが)自身の理念に愚直なところを尊敬していたんじゃないか?と。ただ生来が潔癖だからルール(規律)やモラル(規範)、整然とした状況が心地よいと思うだけ。その点が彼を“軍人気質”に見せている部分ではないかなあ。

ただこいつの厄介なところはホマおじ同様めっちゃくちゃ考えた割にひどく偏りのある、お世辞にも合理的あるいは倫理的といえないような結論に行き着いてしまうことの多いところ。まあこの点に関しては両の親を持たず育ったことやハイスクールを出てすぐに一兵卒になった(しかも士官学校出でないために周りの誹りを受けた)ことなども加味すると致し方ない部分もあるのだろうが。

それにしても「部下◯された!絶対に◯んででも敵を取ってやらな!何なら俺もすぐ行くからな!!」は心情としては分かるけど…しかも自身の命か相手の命を「責任」として奪おう(奪わせよう)はエゴイスティックの極地で度し難く、そりゃあ「歪んでいる!」判定も食らうわなと。

然しグラハム・エーカーは常に気高くありたい、美しく生きていたいという美徳を持った人でもあり(その理想が汚された・果たされない時にもっとも醜悪な手段を取ってしまう矛盾が愛おしい)、どんなに復讐鬼と化していようが闇討ちはしない、手負いの相手は襲わない、他者の力は借りないのだが。

しかも映画時空では己の過ちを認め、受容し、相手の「生き様の」美点を認めることの出来る気持ちの良い奴でもある。※重要なのは、彼が刹那自身というより「刹那(≒ガンダム)という生き方」に敬意を評したこと。ここでも、彼は決して刹那を過度に持ち上げたり仰いだりする訳では無い。

 

では、どうしてグラハム・エーカーはソレスタル・ビーイングに加入したか?

続編を作って一発当てようというバ◯ダイのご都合……ではなく、私はこれに関しては、あの場でグラハムに(いや、刹那自身にもか?)与えられた選択肢があまりに少なかったからだと考えている。

もし彼ら二人が対等な立場で、かつ急迫した生命の危機に無い状態で話し合いのテーブルに付いたとしたら、グラハムは刹那の状況に深い理解を示したうえで「ソレスタル・ビーイング入りはしない」と意思を表明したのではないかなと私は想像する。あくまでも正規軍、或いはそれに準ずる団体の中で彼はマイスター等を助けようとしたはず。彼には彼の仲間が、正義が、選んだ生き方があるのだから。

でもあの時グラハムの肉体は既に◯んでいて、「このまま意識ごと◯ぬかCB入るかどうする?」と二者択一を迫られた(+ガンダムという美味しい餌のほうが寧ろ大きく影響したか……?)。しかも刹那はマジで困っており、尚且つ自分に白羽の矢を立てていると分かって、彼の信頼に報いたいと考えた。

だからこそ、グラハム・エーカーという新米マイスターが誕生したのだと私は今のところ結論づけている。でなければ、彼はそもそも一度開きかけた冥界の門を閉ざして現世に蘇るという禁忌を犯したがらないだろう。信仰の面で言えばグラハムは無宗教だろうが、自然の摂理に逆らった生き方を望むタイプだとはとても思えない。尤も、命を無駄にする2期までの生き方は刹那の否定を受けても致し方なしと思うが……(そもそも、当の刹那が言わば命を軽々しく扱うような蘇生行為に及んだ事自体不自然だよ)

結局、グラハム・エーカーという男は歪んでいて、矛盾の塊で、幼稚で、細かいことにいつまでも拘泥する、けれどどこまでも真っ直ぐで真面目で純粋で清廉な(人の良い)まさしく空のような人間なのだ。

ただ、「気持ちの良い」奴になったのは成人してからだと思う。子供の頃は寧ろ潔癖であるために壁を作り、大人を憎むような尖った少年だったんじゃないかなあ…なんて。月辺の理想のショタ笑。

スレーチャーの前でだけ見せたグラハムの姿……あれが彼の「素」だと月辺は思う。怒ったり、意地を張ったり、嘘を許せないと感じたり、けど本当は敬愛に応えてほしいと思ったり……グラハムの幼年時代や少年時代は、彼が「父」を求めたスレーチャーとのやりとりにこそ感得できる要素。その点をしっかり表現してくれたN村さんの演技には感謝しかない。勿論親方(スレーチャーのCVの方ね/笑)にも。

そして実はグラハムがガンダムに拘ったのも、彼を圧倒して、魅了して、そして絶対的に凌駕する機体(と乗り手)__という部分に「尊敬する師の面影」を見たから、なんじゃないかな

エクシアと戦っている時、グラハムはナイトのチェスピースがペイントされたリアルドや、バラバラになったブラストを思い浮かべていたのかもしれない それが彼の「歪み」だった?

そう思うとなおのこと、月辺の「100歩譲ってCB入りするとして、何でグラハムのガンダムはバックパックすらない不可変機なのよ!!」つー疑問?不満? が出てしまって。

当方最も好きなデザインのガンダムタイプMSがエクシアなんですが、それはそれとしてグラハムがあれほど憧れた「翼」をオミットしてしまうのは惜しいなあ。エールストライクみたいにすればよかったのに(ハルートが可変タイプだから(被る)?そんなメタ事由は聞く耳持たん!/笑)

そう。Re:visionは面白かった。新たなMS、そして声優さんの素晴らしい演技に限って言えば月辺はスタンディング・オベーション状態だ。ブラボー!ヒューヒュー!!

が、しかし。次の二点が解消されない以上、これから先の00の展開には不安を感じざるを得ないだろう。

①「私設武装組織」はA.D.2314〜の西暦に果たして必要か??

ひねくれた見方かもしれないが、00のメッセージが「対話によってこそ成立できる得難い恒久平和」だったのだとすれば、CBは14年以降寧ろその規模を縮小し、一刻も早く組織を畳むべきではないのか?(この点、謎だったので寄稿用の二次創作でちょっと触れてみたりした)「ヒューマレスト情勢」は確かに新人類に対する急迫不正の権利侵害と言えなくもない。けれど彼らゲリラ屋は幾ら数で勝る叩き上げだろうが進化した超人類ではなく、ただの人間だ(寧ろELSイノベイターらを忌避しているらしいし)。ならば、刹那が不在であってもCBがわざわざ人員を増やしてまで事に当たる必要はない気がする。あの世界の平和維持軍が例えその半数以上の構成員を喪っていたとしても、アロウズのように壊滅に至ったわけではない。例え平和維持軍がその形態を保てなくなったとて、国際機関や各国の行政府が存在し、敵が同じ言語能力を持つ人間である以上、それこそ解決策は武力以外に幾らでも存在するはずだからだ。仮に続編を作る気が制作スタッフの方々にお有りならば、ぜひ「抑止力」「平和の守り手」としての武装組織は合法か?存在可能か?民衆に受け容れられるか?……を描いてほしい(そんなこと、プロの監督様方にはトーシローのワタシなぞに言われずとも百も承知なのだろうが)。

②「役割」は人を幸せにするか?論

CE世界でキラやラクスが命懸けで否定した、デスティニープランに代表される「役割論」。これをややもすれば肯定しているかのようなRe:visionの展開が気になった。

グラハムは刹那の代理、ポスト刹那・F・セイエイとしてソレスタル・ビーイングに加入した。これは刹那もグラハムも当然真っ先に否定するだろうが、残念ながら当人同士にその意思が無くとも、CBや平和維持軍に属する関係者にはそうとしか考えられないのだろう。そして我々視聴者さえそう感じる。何故なら(制作の都合上仕方ないこととは言え)グラハム・エーカー個人の要素が色々と取り払われているためだ。イメージカラーであった白やグッズカラーの黄色は水色に変更され、可変戦闘機乗り属性もなくなり。何なら「決め台詞は刹那っぽく言ってください」と指示があったとか。だが、刹那が望むCBのグラハム・エーカーとは、グラハム自身が目指すガンダムマイスター・グラハム・エーカーとは刹那「っぽく」振る舞う彼のことなのだろうか?この点も、彼「らしい」マイスター像を模索する描写がほしいところだ。

 

なーんてめんどくさいことを並べてしまったけど、いざ(本当に)続編が発表されたら無邪気にわー!すげー!かっけー!!と喜んでいるのだろうけれど。でも(悪質なアンチは別にして)反対意見や穿った見方も必要なのかなって思うのだ。問いかけること、疑問を持つことは大事。そして多分、後からこの記事を読み返して過去の自分にもあれこれ文句が出てくるだろう月辺だった。笑