fjroowのブログ

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釈迦は慈悲の対象を「生きとし生けるもの」「全世界」に向けているし、生きていること自体が矛盾であるという認識や、法然や親鸞は、釈迦の説いた空や無我を覚れない愚か者であるという認識が前提にある、と思います。それゆえに、破戒せねば生きていけない、寄進も修行もできない、経を読めない人のための念仏であり、虚構である社会や世界を分別せざるを得ない人のための念仏であり、その中で支配する側も支配される側もそのままの条件で救われる(覚れる?)のための念仏であるように思います。
おっしゃるような念仏は、社会における理想実現のための政治プロパガンダみたいで念仏を矮小化してしまうような感じがします。こうゆう私もエゴであり、分別、理想に執着せざるをえないのですが。

慈悲にこだわらず、人間中心主義で、現実社会に平等な理想をもたらすことを目的とする思想なら、もっと現代に近い思想家が、緻密で体系的な理論を残しているような印象があります。不勉強で、名前を簡単に挙げれないですが。

念仏は、社会体制がどうであれ、境遇がどうであれ、"私"(「実存」と置き換えていいのか?)が救われるかどうか、揺るがない境地に至ることができるかどうかが問題にされるものではないのか、と考えます。