こんにちわ。
アメリカのデモに触発されて、とうとう東京で10月15日反格差社会デモが行われたみたいです。

・・・が、実際どうなんでしょうかね?
アメリカと日本では事情がちがいますし・・・
たしかに日本もアメリカも金持ち優遇の部分はありますが、はたしてそれが無くなれば格差はなくなるのでしょうか?
ズバリ

なくならないでしょう~


そもそも格差とはなぜ起こるのか?
それは、稼げた人と稼げなかった人の差であるわけで、チャンスは平等に与えられているのではないのでしょうか


まれに親から譲り受けてお金持ちな方もいらっしゃいますが、それはラッキーだったで済ますことが出来るでしょう。
自らを貧困層とうたう人々は、なにをもってしての貧困層なのでしょうか?
今時点の収入?生まれた境遇?先の見えないことへの失望感?
個人的な意見としては格差是正とお題目がたっていますが、結局のところは格差是正ではなく個人収入のベア(ベースアップ)を望んでいるわけだと思うのですが・・・
実際問題富裕層の収入を削ったところで、貧困層の方の収入が増えるわけではないのですから(;^_^A
少し前に拝金主義がどうこうとTVなどをにぎわしましたが、拝金が悪いイメージで伝えられていたのに、稼ぐのはイヤだけど金は欲しいというこういった集会はどうなんでしょうか?

お金を稼いだ人方々の多くは、稼いで無い人よりも多くの付加価値をもたらしています。
今までに無かったものを創造したり、一般の人間に出来ないことをしたり・・・
企業の中でも、会社が雇ってあげている人間と雇われてもらっている人間がいます。
違いは同じく、多くの付加価値をもたらせる人間はかけがえの無い価値を持ちますし、そうでない人間は替えがきく部品のような扱いを受けます。
格差云々以前に区別と差別は存在します。それは平等にチャンスを与え公平に評価をするからです。
アメリカのリストラはもっとさっぱり行われています。『こんにちわ』『またね』と同じくらい・・・
雇われている・雇われていた・雇ってもらいたいそれぞれの立場の人々がこのデモには参加していると思われます。
雇われていることでの待遇等の不満や、リストラされたことへの不満、雇ってもらえないことへの不満は、自ら事業を起こすことで見返せばいいのでは?とわたしは思います。
自分の不幸を強調する前に、出来ることはなかったのでしょうか?
しかし残念なことに、別の選択肢が見つけられなかったからこのようなデモが行われてしまったのでしょう。
問題なのは、なぜこういった思想をもってしまうのか?なにが行動をおこさせるのか?であって、デモ自体は結果でしかないということです。
これは幼少のころより、マルクス主義の思想を教え込まれているからです。
誰から?・・・
そう、以前も取り上げた例の集団
”日教組”です。
不幸にも彼らの教えは、階級社会への闘争と社会主義/共産主義の理念です。
当然、今の日本は資本主義ですから日教組の先生の教えをバカ正直に鵜呑みにして、それをもとに行動しても今の社会に適合できるわけも無く、こういうことが起きるにいたるわけです。
別に言われた通りにしていないと思ってる方い入ると思いますが、一番怖いのは”これをしなさい”とかのことではなく、あやまった人としての判断基準(物事を考えるときの根底の考え)を刷り込まれているかもしれないということです。義務教育の期間は成長期でもあり人格形成に大きく影響をあたえると思います。
自分自身も知らないうちに、大なり小なり左よりの思想に蝕まれているかもしれないということです。
ちなみに”資本主義”の仕組み
・私有財産制(民法体系による司法による財産権の法的保護、経済的自由権)
・私企業による生産
・労働市場を通じた雇用、労働
・市場における競争を通じた需要、供給、取り引き価格の調整、契約の自由
基本原理としては生産手段を持つ資本家が、賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムである。
マルクス主義のカール・マルクスは著書『資本論』の中で「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」として「資本主義」と定義したそうです。
とあるように、小学校のときから資本主義のしくみを教えてもらい、先生から『みんなは資本家と賃金労働者どちらになりたいですか

』とか『資本家になれるようにがんばりましょう

』といった教育を受けてきていたら、結果は変わると思います。
たとえ一時的に賃金労働者になろうと、そこから資本家を目指すといった、過程としての労働者の選択もあると思います。仮に労働者であることを選択したとしても、いかに自分の労働力を高く買わせようか考えることもできるはずです。
昔聞いたことがあることで、”アメリカでは一番優秀な人間は起業し、次に優秀な人間が一流企業に就職する。”というものでした。
これを読んでいただけている人々の思想はどっちをむいているのでしょうか?
なにが正しくてなにが間違っているとかではなく、今を生き抜くためにどのような判断基準をもっていなければいけないのか、今一度自分の奥底にたしかめてみるのもいいのかもしれません。
今自分を取り巻く環境は、運がなかった、他者の責任、といった外部要因だけではないかもしれないということを心に留めて、知らず知らずのうちに自分自身が不幸な選択をしてしまわないよう気をつけたいものです。
最後に今日の”ミー”
↑寝てます。ほぼネコであることを忘れています