ウクライナ・・あらゆる大国、戦争にまきこれた歴史
最初に、、、
ウクライナへのロシア軍への侵攻で命を失われた方々またその親族、ご友人に哀悼の意を表すします。
さて、今回はウクライナは
そもそも、どんな国であり、どんな地域あるいは歴史があったのか、ということを述べていきたいと思います。
1、肥沃な土壌
ウクライナという場所はロシアに近いからシベリアみたいな感じ?というな認識をしていましたが、地中海に繋がる黒海に面しているため、比較的に東ロシアとかより人間が住みやすく肥沃な土壌を持ち「ヨーロッパの穀倉」と言われております。
地理的には東ヨーロッパとロシア(スラブ系)の緩衝地域であり、また黒海を南に挟んでトルコと、様々な文明圏の入り組んだ狭間みたいな場所なんですね、、、
2,哀しき歴史
上記の理由が故に様々な大国に侵され続けていました、、、
紀元前から様々な遊牧民族が表れてましたが、
代表的なのは12・13世紀あたりのモンゴル帝国からの侵入です。モンゴル帝国軍は遊牧民がそのまま軍事的な力を持ったため、常に家族・家畜(馬・羊等)共々を移動させながら転戦させていきます。
当時のモンゴル帝国は「降伏か?破滅か?」という究極のストロングスタイルで、従順にしておけば意外と寛容な統治を行うのですが、抗った公国(当時の呼び名)は完全破滅してしまいます。
ウクライナは当時キエフ大公国という勢力の領土内でしたが、モンゴル帝国の侵入によってキエフ大公国は滅亡、モンゴル帝国軍のヨーロッパ侵攻の拠点みたいにされてしまいます、、
※文化史的にはタタールのくびきと言われました
侵攻された東ヨーロッパのポーランドを境に、西ヨーロッパに対して進歩が遅れてしまいました。
こういったモンゴル帝国の侵入により、東ヨーロッパ及び今でいうウクライナ、ベラルーシ、ロシアあたりの地域はヨーロッパ文明圏とはちょっと異質な文明圏となります。
その後、ポーランド・リトアニア共和国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマントルコ、帝政ロシアがこの地域を支配下にしてました。
3、地政学的?な再思考
上記見てきたように、ウクライナは非常に様々な国家間の狭間で常に支配や併合みたいなのが常態化してました。
ワタシ的に言えば非常にビミョーな場所です!
異質なイスラム系文化、西や南にはヨーロッパの回廊とされるポーランド、そしておそロシア。
相性の悪い隣人に囲まれていたら居心地悪いですよね。
さて、地政学とはは、国際政治を考察するにあたって、その地理的条件を重視する学問である
アメリカ地政学ではランドパワー(大陸覇権国家、中国、ロシア)とシーパワー(海洋覇権国家、アメリカ、かつての大英帝国)という図式化されてます。
そこでランドパワーとシーパワーの間にリムランド(簡単に言えば緩衝地帯かつ陸と海の利害がぶつかる地域・場所)という概念を導入し、より説得性が持つようになりました。
世界地図で観ると、ウクライナはちょうどギリギリその地域に近い場所にあたります。(・・;)
追記
ソ連崩壊後、ウクライナを非核化することについての是非を問う論文がアメリカのシンクタンク外交問題評議会の発刊する機関誌「フォーリン・アフェアーズ」にありましたが、当時のアメリカさんはやさしすぎ(笑)
結果、冷戦後、ウクライナを非核化したことにより抑止としての核が持たさなかったのは、アメリカ外交の失策であり、今回の悲劇の序章だったんでしょうね
