キラキラネームに賛否「個性的な子へ」「読めないのは問題」
産経新聞 8月10日(金)10時55分配信

 亜人夢(あとむ)、瑠美衣(るびい)、羅偉我(らいが)…。名付け相談に実際に寄せられた名前候補の数々だ。こういったアニメのキャラクターのような名前の子供が増えているという。「キラキラネーム」と呼んで肯定的にとらえる人がいる一方で、不快に感じて「DQN(ドキュン)ネーム」と呼ぶ人も。このような名付けの傾向について、命名研究家の牧野恭仁雄さんと、京都文教大の小林康正教授に見解を聞いた。

記事参照

個性的な人間になってほしいという思いがあるからだというが
奇をてらうようなことが個性なのかそれを考えてほしい
私は、心を大切にする人であってほしいと、子供たちの名前には漢字の中に「心」のある文字を選んだ
決して珍しいことが個性ではなく、優しさ、強さ、明るさ、粘りなど誰もが知っている人間性がその人だけが持つバランスで備わっていることが個性だと思う
そう信じる

名前負けするという言い方を昔はしたが、最近聞かないかも
名前によって、その人の人生が左右される部分はある
名前のおかげで注目されみんなの中心になることもあれば、それを嫌って輪の中から出てしまう子もいる
勝ち負けではなく、名前に左右されることが事実あるのだ
私の名前も実は他人から正しく読んでもらえないことが多かった
結構悔しかったりする
私の人格形成に少なからず影響していると思う

ここ数年の新入生の名前を見ると、見事に、○夫、○男、○子、といった定番の名前が消えた
男女混合の名簿になって、読みにくい、読めない名前だけでなく、性別の区別のつかないものも増えた

画数や、吉凶などの姓名判断は、迷信的な部分が多いが、しかし名前の持つ力を知っていたからこそ先人たちは真剣に考え、そのようなものができあがったとも言える

私の考える良い名前とは
読みやすく、呼びやすい
音の響きがよい
男女やそのひとのイメージが想像しやすい
極端に画数が多すぎず、書いた時のバランスがよい
(結婚して姓が変わることが多い女性を除いて…本来は男女とも変わる可能性があるはずだが、嫁入りするという風習が残っており、女性が変えることが圧倒的に多い)
苗字と字数や漢字が合っている

からかわれたり、冷やかされたりする名前、嫌なあだ名をつけられそうな名前は避けたい

これらは古い考え方ではなく、普遍的な考えであってほしい

明日から盆休みです。
夕方、久しぶりに映画を観てきました
選択肢はいろいろあったんだけど決めました
とってもよかったですよ

帰ってよくよく調べてみると、大コケだとか
作品は間違いなく素晴らしいのだけれど
プロモーションに失敗したのかな?
世の中の皆さんには受けなかったのか?

オリンピックで話題の中世スコットランドがモデルとなった世界観
まずそこの設定が私は大好き
アーサー王の伝説みたいな世界とか、魔法使いのおばあさんとか
王家の歴史…
スタートの音楽にもがっちり掴まれてしまいました
「タッチ・ザ・スカイ」すごくよかった
終わりの挿入歌「いにしえの子守唄」、坂本美雨さんの歌声も素敵でした
どちらも思わずダウンロード
3Dでも観てみようかな
みなさんこのような世界観のファンタジーが好きな方、見て損はありません
最初のトイストーリーの短編は間違えてチケット買ってしまったかなと不安にさせるほど力を入れてちゃんどできています
もう一つ短編がおまけにあって、いよいよ本編です
1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など、正に生き地獄だったのです。

当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。

深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。

平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5,300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国を始め10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。

2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。

あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

平成24年(2012年)8月6日
広島市長 松 井 一 實

ホームページ
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/declaration/Japanese/


「核と人類は共存できない」という言葉をかみしめてほしい
原発に反対している人も、賛成している人も、どちらでもない人も

演劇部の子供たちは「街角の碑」という東京大空襲がテーマの脚本に挑戦しています。
戦争がテーマなので、今日、子供たちと黙とうをしました
集合時間が8時30分だったので、広島と同時にはできませんでしたが、8時30分、平和の願いを込めて黙とう。

大きく声をあげて平和を実現することも必要だけれど
静かに、深く祈ることも大切