五

 孝志はがっくりと俯いて座っていた。着替えてリビングに戻った時にも、まだ部屋の興奮は収まっていなかった。みな代わるがわる三人を取り囲んでははやし立てたが、ヤマトはダンスで酔いが廻ったのかテーブルに突っ伏してしまっている。アキが一人で、衣装を借りた事やどうやって練習したかなど、笑顔で話している。
「タカさーん、今度俺にも教えてくれよははは。いやあ、素晴らしいダンスだったなっはっはー」
オサムが孝志の肩を叩きながら言った。
「そうか、町でダンスを見て覚えて来たのか。いやあ感心感心」
俊男も上機嫌だ。ジュリィはまだお腹を抱えて笑っている。
「さーてと!」
マリアが立ち上がった。その顔はシャンパンに酔ったのか笑いすぎたのか、真っ赤だ。
「最後は、あたしね!」
「待ってました! サンバダンス見せてくれると嬉しいんだけどなあっ!」
「そんなものより、もっとステキな物見せてあげるわ!」
― そんなもの? 孝志はまたがくりと俯く
「うわあああ! 期待しちゃうなあ!」孝志の思いとは裏腹に、みなは大盛り上がりだ。
「んじゃあ、ちょっと待っててね。ショウ、行こ!」
「あ、ああ」
ショウは、何故か目を伏せ浮かない顔をした。おもむろに立ち上がると、肩を落としてマリアと共に部屋を出ていった。対してマリアは上機嫌の様子だ。オサムがアキに顔を寄せて言った。
「なあなあアキ、マリアちゃん何すんのかな? もしかしてさ、さっきのお前達みたいなさぁ」
「でも、ショウが一緒だったからね。どうなんだろ」
「うーん、二人で漫談? なああんて。まさかそりゃ無いか」
みなそれぞれマリアとショウの出し物を予想しているが、どうにもあの二人のペアというのはピンと来ない。孝志は気を取り直して、ジュリィの料理を頬張った。いつにも増して豪華な今日の料理は、相変わらずどれもおいしい。まだまだ料理はたくさんあった。丁度孝志が七面鳥の足に、手を伸ばした時。
「じゃーん!」
マリアが部屋に飛び込んできた。みなの視線がマリアに集まる。が、マリアの様子はさっきとまったく変っていなかった。
「あれ? マリアちゃん、何も変わってないけど?」
オサムがポカンとした表情で言った。孝志は手に持った七面鳥の足に齧り付く。
「ふふーん。あたしじゃなくてー…ほら、入って!」
マリアは得意そうに少しアゴを上げて見せると、扉の向こうに手を伸ばした。マリアに腕を引っ張られるようにして、リビングに入って来たのは…誰だ?
 それがショウだと気が付くのに、みなたっぷり五秒はかかった。そして気が付いてからは、まるで時間が止まってしまったかのように、みな目を大きく見開いたまま動かなくなってしまった。孝志の口から、齧り付いたばかりの七面鳥の肉がこぼれ落ちる。
― ショウは、白い袖なしのワンピースに身を包んでいた。マリアに借りた物だろう、サイズが合わなくて、右の肩がずり落ちそうになっているが、膝下くらいまでの何の飾りも無いシンプルなデザインが、細身のショウにとても良く似合っていた。唇には朱色の口紅を薄く付けていたが、白いワンピースとのコントラストが、唇の朱を一層際立たせていた。前髪を分けて覗かせたショウの目元が真っ赤に染まっているのは、ゲンさんと交わした酒のせいだけではないだろう。俯きはにかんだその姿は、みなの目にあまりに美しかった。誰の口からも、一言も言葉が出ない。俊男とジュリィは、その姿を目を細め眺めていた。
するとショウが、突然顔を上げて口を開いた。
「お、俺やだって! 言ったんだけどよ…マリアにその、強引にさ…脅されて…あの…」
孝志は、前々からショウの美しさには気が付いていた。しかしまさか、これほどとは。以前ショウの事をまだつぼみの朝顔に思った事があったが、気づかぬまに花は開いていたのだ。いや、朝顔じゃない。何だろう、睡蓮だろうか。赤い唇が、雪景色に咲く一輪の牡丹を連想させる。いや、どんな花も今のショウを形容するには追いつかない。清楚であり清廉であり、可憐であった。オサムはまだ口を開けたまま見とれている。トドは目を何度もしばたたかせては、大きく目を開いてショウを見つめた。マリアが得意そうに胸を張り、大声で言った。
「ねー! みんな、どう? とっても綺麗でしょう? みんなに見てもらいたくってさぁ」
「や、やめろよ。もういいだろ? マリア。もうカンベンしてくれよ…」
ショウがさらに頬を朱に染めそう呟いたとき、テーブルに突っ伏していたヤマトが体を起こして寝ぼけまなこで言った。
「んー…? なんだあ? 最後はショウのちんどん屋かあ?」
― 一瞬にして、部屋の空気が凍り付いた。
ショウは目を固く閉じると、俯いたまま言った。
「はは…だろ。笑っちゃうよ、な。これ、マリアのなんだけどさ…胸なんかほら、ぶっかぶかでさ…はは……やっぱ、おかしいよな…おか…し…」
次の瞬間、ショウはリビングを飛び出していた。孝志がテーブルを立った時には、すでにトドが後を追って飛び出した。オサムはヤマトの頭を思いきり平手で打った。
「バカやろう! 寝ぼけてんじゃねえぞ! 早く目を覚ませ!」
「いってえなあ。ったく乱暴なんだからよう…」
まだ目を擦っているヤマトの頭をもう一度叩くと、孝志も走りだした。他のみなも後に続く。裏口から飛び出すと、庭のほうに向かって走った。
「はああなせ! 離せよこのやろう! てめえトド! 離せっての!」
庭の隅の方から、ショウの叫ぶ声が聞こえた。孝志は声のする方に走る。トドが逃げようとするショウを捕まえ、腰の辺りに抱き付いて座り込んでいた。孝志が二人の元に歩いて近づくと、その姿を見たショウがより一層大きな声で叫んだ。
「離せってんだトドっ! 離せっ!」
ショウは逃れようと、トドの顔や肩を両手で押し離そうとした。振り回した腕がトドの顔にあたり、両方の鼻から鼻血が流れた。さらにショウは暴れ、ヒザでトドの胸を打った。それでもトドは、ショウを放さない。遅れて他のみなもやってくる。孝志は以前にもこんな事があったなと、思い出した。あの時も暴れるショウを、トドが抑えたのだった。そういえば大阪の夜でも、ショウを捕まえたのはトドだった。
「はああなせえええええっ!」
「し、しょ…ぅ」
「ううるっせええトド! てめぇ離せよバカやろう!」
「ショウっ」
ショウの動きが止まった。涙を浮かべた目を大きく見開いて、トドを見る。孝志も驚いていた。確かに、今トドは…。
トドはやっと動きの止まったショウに向かって顔を上げ、にっこりと微笑んでから、鼻血まみれの口を開けて言った。
「お、おでさぁ、ショウの名前、ちゃんとよびだがっだんだぁ。だから、いっじょうけんめいれんじゅうじだど。し、しょって言うの難しぐて、なかなかできねがっだけど、やっど、言えるように、なっだど、ショウ」
さらに見開かれたショウの目から、ぼろぼろと涙が毀れる。
「お、お前…ばっかやろ…」
「ショウ、ぎいで。おねがいだかだ、きいで。しょう、どっでもぎでい。なによりぼ、だでよりも、きでい」
「うそ…つくな」そっぽを向いたショウに、トドが思わぬ鋭い声を上げた。
「うぞじゃだいっ!」
トドはぶんぶんと首を振って言った。ショウの白いワンピースに、トドの鼻血が飛んだ。
「おで、おでこんだにぎでいなもの、みだごどね。ほんどだ! おで、めがちっかちかしちゃっで、じょ…しょうのごど、うまぐ見れね。でも、でもものずんごくぎでい。おで…おで…うばれでぎで…ほんどーに、よがっだ。ずんごいうでじいんだ。ぎょうぐらい、うばれでぎで、うれじがったごとね。だかだ…だがら。ありがどなぁ…ショウ」
そういい終わると、またトドが満面の笑顔をショウに向けた。ショウの目が、さらに潤む。
「ばあああああっかやろぁああっ!」
ショウはそう叫ぶと、大声で泣き出した。空に向かって大声で泣いた。小さな子供がするように、両目に手をあて声を上げ泣き続けた。ショウの心の奥に残された、最後の氷が溶けて行く。そして涙になって流れて落ちてるんだと、孝志は思った。
 みんな笑っていた。目に涙は浮かんでいたが、顔は一様に笑顔だった。孝志は涙がこぼれないように、夜空へと顔を向けた。満天に散らばった幾千幾万の星達が、孝志達を包み込むように瞬いている。今夜のこの星空を、いつまでも覚えていようと孝志は思った。と、孝志の視界の端を一筋の流れ星が駆けて行った。
― きっとあの流れ星が、みなの夢を叶えてくれる…。 孝志はそう、思うのだった。

        Beautiful Dreamers…  Merry Merry Xsmas