皆さん、ごきげんよう

自然療法とフィレンツェの散歩のラクシュミーです




イタリアで暮らしだしてからよく聞く言葉。

Senza Giudicare(センツァ・ジュディカーレ

センツァは英語のwithoutと同じで~なしにという意味
ジュディカーレは、英語のJudge で判断する、評価する、思う、みなす
という意味。



センツァ・ジュディカーレは、
判断したり、評価したり、思い込んだりすることなく

という意味です。



この
センツァ・ジュディカーレは、
人に対しても自分に対してもとても大事なこと。




センツァ・ジュディカーレでいられれば、
もっと自分を認めることができるし、
人も認めることができるのです。


自分を他人と比べて卑下することもなく、
逆に優越感にひたることもなく。


自分自身も楽だし、相手も楽。
ひいては、自分も自分らしくいられる。



そうそう、
実は大切なこと。



イタリアでは
センツァ・ジュディカーレ
で育ってきている人が多いと感じます。


だから、
のびのびとした
スポンタネア(本能的な)な人が多いし。



皆、自分がキレイでカッコいいと思っている
という人が多い。
どちらかというと、
自分が一番と思っている(笑)


いずれにせよ、
自分らしくいられるということのためにも
センツァ・ジュディカーレは大切なのです。





イタリアの人は、
ジプシーやホームレスの人とも対等に話します。


日本だと、
普通話しませんよねきっと。


こちらでは普通に会話をしたりするのです。
もちろん時と場合にもよりますが。


まず、話かけられたら、
きちんと受け答えをする、
とりあえず受け入れているのです。

それから、お金をあげれなければ、断るのです。



センツァ・ジュディカーレですよ、まさに
寛容とも言いますね。









イタリア北部シルミオーネのガルダ湖



自然療法の学校へ通っている時も
やたらと耳にする言葉だった。




生徒同士でワークをすることが非常に多く、
心、魂に関連すること、
顔や姿から得た情報をお互いに口にしあたったりする機会が
いやという程あった。



必ず先生が、
皆でワークに取り組む前や
皆で意見や考えを共有し合う前に、
センツァ・ジュディカーレ
と言っていた。



だからか、
私の頭の中には刷り込まれている言葉。



自然療法で相談者の方を見る時も、
センツァ・ジュディカーレが非常に大事なのです。



言い方を変えれば、
直感をそのまま受け取るということ。



相談者の方をあるがまま、みたままに受け取るのです。
そこには、
ジュディカーレは存在しません。
良い、悪いは存在せず、
そのままに受け取るということ
なのです。



受け取ることと、判断する、思い込むということは別のこと。





イタリアに来てから学んだことのひとつ。
ただ、実生活においては、
なかなか実践できていないような



いや、いやめざそう
センツァ・ジュディカーレ



お読み頂きありがとうございました。

自然療法とフィレンツェの散歩のラクシュミーでした
皆さん、ごきげんよう


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