1月26日はラ・フィオリータ・ディ・サン・ザノービと
呼ばれる聖ゼノビウス(サン・ザノービ)の記念行事の
パレードがフィレンツェで毎年行われます。


フィレンツェの初代司教であった聖ゼノビウスは
417年に亡くなりました。
当時の司教座聖堂であったサン・ロレンツォ教会に
埋葬されました。

その後、429年に司教座聖堂となったサンタ・レパラータ教会
(現在の司教座聖堂である花のマリア大聖堂の前身)に
聖ゼノビウスの棺が移されました。

洗礼堂の北扉の前には、当時木が生えておりました。
その中に、楡の木がありました。
真冬だった為、楡の木は葉が落ち、枯れかけていました。

棺が運ばれている途中で棺が楡の木に当たり、
その瞬間に楡の木に突然花が咲いたのです。
この奇跡的なことが起こったのが、
429年の1月26日でした。

その楡の木があった洗礼堂の北の扉の前に聖ゼノビウス崇拝の
十字架のついた柱が置かれています。

1月26日はこの聖ゼノビウスの棺の移動中に
起こった奇跡を記念する日です。




聖ゼノビウス崇拝の十字架のついた柱



柱中央に楡の木



1月26日の記念の祭典の為の花輪



シニョリーア広場



シニョリーア広場



パレードは、グエルフィ(教皇)派の宮殿から出発し、
シニョリーア広場へ向かい、
フィレンツェ中心地を行進します。





その後、フィレンツェ大聖堂前の洗礼堂の横にある
聖ゼノビウス崇拝の十字架のついた円柱まで行進します。

パレードは再びシニョリーア広場を通り、
グエルフィ派の宮殿の前まで戻って終了となります。



フィレンツェ大聖堂ファーサードの司教聖ゼノビウス



聖ゼノビウスはフィレンツェで337年位に生まれています。

テオドーロ司教からキリスト教の教えを受け、
若い頃に教皇ダマソ一世から重要な任務を任され、
コスタンティノーポリの皇帝の宮廷に赴きました。

300年代終わりにフィレンツェに戻り、
異端や当時のアリウス主義と戦いつつ、
フィレンツェや周辺の町を完全にキリスト教に改宗させ、
フィレンツェの初代司教となりました。

聖ゼノビウスは様々な奇跡を起こしています。
奇跡のひとつに、
巡礼中のフランス人女性の息子を生き返らせています。



ラテン語で書かれた小さな記念碑が
アルトヴィーティ宮殿に貼られています。

ラテン語の内容は、
ローマに向かう途中のフランス人の巡礼の女性の息子が
病気になった為、
フィレンツェの知人の元に置いて行きました。

帰って来た時は、息子が亡くなったばかりでした。
絶望に落ち、
司教聖ザノビウスがサン・ピエール・マッジョーレ教会に
行進していたところに息子を運びました。

女性が司教と会えた場所が
まさにこの小さな記念碑の貼られている場所だったのです。

司教聖ザノビウスがひざまづいて神の恵みを祈ると、
この男の子が生き返ったのです。
という内容が記されています。



アルトヴィーティ宮殿
Borgo degli Albizi 18, Firenze



この出来事は多くの絵画に題材としてとりあげられています。


最後の奇跡と聖ザノビウスの死
サンドロ・ボッティチェッリ
最晩年の1505年から1510年頃
ドイツのドレスデンのアルテ・マイスター絵画館所蔵