9月、岐阜県高山市の小学校に、野生のツキノワグマ🐻が侵入し、警察の指示の下、地元の猟友会が熊を射殺するという事があった。
この事件で市や学校などに対して、
「クマ🐻がかわいそう」、
「子供たちの前で射殺をしたのは正しかったのか」
などという問い合わせがあったと言う。(*1)
はっきり言うが、
「熊🐻の命と人の命どっちが大切だと思っているんだこのボケ!」である。
ところが、世の中には一定数「無関係の人間よりも動物の命の方が大切」だと考える馬鹿どもがいる。
現実に世の中に溢れているからたちが悪い。
とはいえ、そうした人も、普通はそれを表に出して他人を批判することは無いが、
その中には多くの動物愛護者を異端者として誤解させるほど頭のイカれた馬鹿どもがいる。
それがいきすぎた言動を正当化するため大変迷惑だ。
公園に行けばよく見かける「野良猫😺に餌付けをする」というアホ。
本人は「かわいそうな野良猫😺に食べ物を与える優しい私」に酔っておりご満悦なのだろうが、
よ~く考えれば、「猫😺の飼育や管理という面倒なことをせずに、ただ餌を与えるという楽しい部分だけをつまみ食いしている無責任な勘違い馬鹿」なのである。
これと同じようなことが熊🐻でもあって、
「熊🐻が人里に降りてくるのは、山の中に十分な熊🐻の食料がないからだ」として、団栗(どんぐり)を山に撒くような活動をする短絡的思考力の救いようのない低知能キチがいる。
こうした活動は
「団栗を他の地域から運び込むことにより、植物の交雑や団栗についた虫や細菌などによる生態系の撹乱」を引き起こさせる問題があるのだ。
そもそも「団栗を撒いたからといって、それと熊🐻の人里への出没が減るわけではない」という研究結果もあり、
「猫😺への餌やりと同じ、自己満足的な活動」に過ぎない。
「面白半分に動物の命を奪ってはいけない」という言葉があるが、
こうした形で動物の命を云々と主張することは、
「面白半分に動物の命を守っている」
と言える。
「守っている」と言えば世間体はいいのかも知れないが、
実際には「目先の動物の命を守ることにより、自然が荒らされ、その結果、他の動植物の命が危機に瀕している」のである。
そうした自然の複雑さを理解せず、ただひたすら「動物愛護するのはカッコいい」と自分に酔って、迷惑にしかならない言動を繰り返し、周りを巻き込むのだから、すこぶるたちが悪い。
「食品でも動植物でも鉱物でも放射性物質(!)でも、自然や天然とさえいえば優しいイメージを抱く」という超絶的馬鹿どもがいる。
よく考えてみるがいい、自然は人に優しくない。
自然に優しくさえしていれば、その人を自然が愛してくれるわけでもない。
熊🐻に優しくしようと近づいていったら、「いっただきま~す❤」とガブリと熊🐻に食われかねないのが本来の自然だ。
別に人間が愛さなくても、放っておいても自然は自然でやっていける。
人間は自然を愛する必要などない。
ただ、自然の優しさも危険性も受け入れて、人間の生活を守るために上手く対処すればいい。
いい加減に気づけよ。
『自然や動物に対する愛護』は「とてつもなく手間ひまのかかることである」ということを。
「盲目的に動物愛護を趣味とするアホ集団」だけで手に負えることではない。
それこそ世界レベルでの研究と対応が必要なのだ。
「(面白半分に)動物の命を守れ❗」などと叫んでも、決して動物を守ることなどできないのだ。
*1:小学校侵入のクマ🐻射殺→「可哀想」と苦情 地元関係者に反論を聞く(J-CASTニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171013-00000011-jct-soci&p=2
この事件で市や学校などに対して、
「クマ🐻がかわいそう」、
「子供たちの前で射殺をしたのは正しかったのか」
などという問い合わせがあったと言う。(*1)
はっきり言うが、
「熊🐻の命と人の命どっちが大切だと思っているんだこのボケ!」である。
ところが、世の中には一定数「無関係の人間よりも動物の命の方が大切」だと考える馬鹿どもがいる。
現実に世の中に溢れているからたちが悪い。
とはいえ、そうした人も、普通はそれを表に出して他人を批判することは無いが、
その中には多くの動物愛護者を異端者として誤解させるほど頭のイカれた馬鹿どもがいる。
それがいきすぎた言動を正当化するため大変迷惑だ。
公園に行けばよく見かける「野良猫😺に餌付けをする」というアホ。
本人は「かわいそうな野良猫😺に食べ物を与える優しい私」に酔っておりご満悦なのだろうが、
よ~く考えれば、「猫😺の飼育や管理という面倒なことをせずに、ただ餌を与えるという楽しい部分だけをつまみ食いしている無責任な勘違い馬鹿」なのである。
これと同じようなことが熊🐻でもあって、
「熊🐻が人里に降りてくるのは、山の中に十分な熊🐻の食料がないからだ」として、団栗(どんぐり)を山に撒くような活動をする短絡的思考力の救いようのない低知能キチがいる。
こうした活動は
「団栗を他の地域から運び込むことにより、植物の交雑や団栗についた虫や細菌などによる生態系の撹乱」を引き起こさせる問題があるのだ。
そもそも「団栗を撒いたからといって、それと熊🐻の人里への出没が減るわけではない」という研究結果もあり、
「猫😺への餌やりと同じ、自己満足的な活動」に過ぎない。
「面白半分に動物の命を奪ってはいけない」という言葉があるが、
こうした形で動物の命を云々と主張することは、
「面白半分に動物の命を守っている」
と言える。
「守っている」と言えば世間体はいいのかも知れないが、
実際には「目先の動物の命を守ることにより、自然が荒らされ、その結果、他の動植物の命が危機に瀕している」のである。
そうした自然の複雑さを理解せず、ただひたすら「動物愛護するのはカッコいい」と自分に酔って、迷惑にしかならない言動を繰り返し、周りを巻き込むのだから、すこぶるたちが悪い。
「食品でも動植物でも鉱物でも放射性物質(!)でも、自然や天然とさえいえば優しいイメージを抱く」という超絶的馬鹿どもがいる。
よく考えてみるがいい、自然は人に優しくない。
自然に優しくさえしていれば、その人を自然が愛してくれるわけでもない。
熊🐻に優しくしようと近づいていったら、「いっただきま~す❤」とガブリと熊🐻に食われかねないのが本来の自然だ。
別に人間が愛さなくても、放っておいても自然は自然でやっていける。
人間は自然を愛する必要などない。
ただ、自然の優しさも危険性も受け入れて、人間の生活を守るために上手く対処すればいい。
いい加減に気づけよ。
『自然や動物に対する愛護』は「とてつもなく手間ひまのかかることである」ということを。
「盲目的に動物愛護を趣味とするアホ集団」だけで手に負えることではない。
それこそ世界レベルでの研究と対応が必要なのだ。
「(面白半分に)動物の命を守れ❗」などと叫んでも、決して動物を守ることなどできないのだ。
*1:小学校侵入のクマ🐻射殺→「可哀想」と苦情 地元関係者に反論を聞く(J-CASTニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171013-00000011-jct-soci&p=2