毎年、8月15日が近くなると「第二次世界大戦」についての言及が多くなり、

書店でも戦争関連書籍が並び、

テレビも「第二次世界大戦」関連の番組が増える。

左翼主義に毒された多くの書籍や報道では、
「日本の侵略と戦争の悲惨さ」
が強調されるだけだ。

確かに、戦争は悲惨であったことも間違いのない事実だ。

だがな、多くの日本軍の兵士たちが酷暑の中、武器弾薬が底をつき、満足に食糧もない状態で戦わなければならず、ついには餓死していったことも事実だ。

「第二次世界大戦のような戦争を二度と繰り返すべきではない」という点には賛同する。
 
しかし、
「第二次世界大戦開戦当時、多くの国民が(あの戦争を)支持していた」
という事実が忘れ去られていないか?

第二次世界大戦後、
「一部の軍国主義者によって、騙されて戦争に突入した」かのように語られることが多いが、それは嘘だ。

多くの国民はあの戦争を支持していたのだ。

何故か?

左翼主義者どもが呪文や神話のごとく唱えるように、「好戦的だったり、侵略を好む残虐な気質の持主だった」というわけではない。
日本には日本なりの大義名分があったのである。

だいたいなあ、左翼主義に毒されたバカ教師どもや、そのバカ教師どもに洗脳されたバカガキどもに「日本は侵略戦争をした」と糾弾される筋合いはない(怒)

もちろん、韓国や中国にもな。

ところで、我々の父祖は、「何故、巨大なアメリカを相手に戦争を開始したのか?」

よく考えてみるがいい。

我々は小さな頃から歴史の授業で「戦争の悲惨さ」については学ぶが、

「何故、日本が戦争をしたのか?」という理由について学ぶことはない。

それは第二次世界大戦後、日本を占領したアメリカがGHQを通じて行った徹底的な左翼主義的洗脳教育の賜物なのだ。

「二度とアメリカに逆らわないように」という目的のもと、日本軍を解体し、財閥を奪い、日本政府を徹底的に破壊したのだ。

その結果、日本が戦争に至った理由が隠されてしまったのである。


その日本が戦争に至った理由とは、アメリカによる「人種差別」に抗うためだったのだ。

アフリカ大陸の住民、アメリカのインディアン、インカ帝国の住民、そしてアジアの植民地における住民。
彼らは人間以下の存在として、本当に酷い扱いを受けてきた。

「日本人を奴隷にしてはならない」という豊臣秀吉の素朴な愛国心(←朝鮮出兵は日本を隷属させようとする朝鮮に抗うためだったのである)。

「何としても日本を植民地にしてはならない」という熱烈たる気概に満ちた明治維新の志士たち。

彼らの想いが積み重なって、積み重なって、現在の日本がある。

『大東亜戦争』の際、日本は「人種平等」の理念を掲げた。

大東亜戦争が勃発する以前、世界中がアパルトヘイトのような状態だったのを知っているだろうか?

「有色人種である」というだけで“劣った存在”と見做されたのだ。

こうした人種差別に対して、我々日本の祖先は憤りを感じていたのだ。

当時のアメリカをはじめとする白人たちは「白人こそが神から選ばれた存在」という『白人至上主義』を絶対とし、有色人種を徹底的に排除しようとしていた。

その最たるものがアメリカの黒人奴隷だ。

戦争は残酷で悲惨なものだ。

それを否定するつもりない。

だがな、「戦争に辿り着くまでの日本側の主張にも耳を傾けるのが公平」ではないか?
 

戦後70周年ということで、安倍首相が談話を発表するという。

しかし、節目の年ごとに首相が談話を発表することに関しては俺は懐疑的だ。

「何故、政治家が、国家を代表するような歴史観を発表する必要があるのだろうか?」
と思うからだ。

歴史の解釈は個人に委ねられていいはずだ。

しかも「お詫び」や「反省」が殆どで、何故、国民が戦争を支持したのかについて触れることはない。

政治的な判断から、極めて難しいことなのだろうと思うが、首相が談話を発表するのならば、多くの国民がある種の大義名分を信じ、支持していたという事実くらいには言及して欲しい。
いい加減、左翼主義のバカどもの言いなりになるのはやめようぜ!!