俳優の渡辺謙さんがTwitterで呟やいたことが話題になっている。
その内容は、
「一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。
どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。
その為に僕は世界に友人を増やしたい。
絵空事と笑われても。」
・ 渡辺謙 (@harryken311)
2015年8月1日
この呟きに賛同している人が多いというから、左翼主義がそこまで浸透しているのだから呆れる。
あのな、渡辺謙さんが呟いている、
「一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国」というのは、間違っている。
実際は朝鮮戦争の際に、
日本の海上保安庁に所属していた『日本特別掃海隊』が派遣されて掃海作業が実施された時に、死者が1名、負傷者18名の被害が出ているのだ。
つまり
「一人も兵士が戦死しない」
という事実はないのである。
少なくとも、このとき一名が亡くなっているのだ。
さらに、“戦死”ではないが、訓練中に自衛隊員の方々が命を落とすことも起きているのだ。
彼ら自衛隊員の命懸けの訓練によって、日本の安全保障は担保されている事実を知るべきだ。
この事実を無視して、身勝手な左翼バカ的理論を展開すべきではない。
渡辺謙さんの呟きは、それらを無視した無知無能な意見に過ぎない。
それに賛同するバカどもも同じく、日本が置かれている状況を理解できない左翼バカどもだ。
戦争ではなくとも、自衛隊員は命を落とすリスクを背負って国防に従事している。
自衛隊員に対する敬意が無いのは、あまりにもおかしいことだ。
それから、渡辺謙さんは
「どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!」
と呟いているってことは、日本国憲法が制定される過程において、何か如何わしいものを感じているのは、正しい。
だが、世界に誇るべきは憲法ではないことを知るべきだ。
日本の第二次世界大戦後の平和が担保されてきたのは、憲法のおかげではない
自衛隊と日米安保の存在によって平和が維持されてきたのだ
世界に誇るなら、
「自衛隊と日米安保によって平和を守ってきた」という事実そのものを誇るべきだ
GHQが主導して、日本が二度とアメリカに逆らわないように作った日本国憲法を誇るべきではない
日本国憲法は「平和憲法」などと呼ばれ、左翼主義者どもはそれをバイブルのように崇め、
「日本国憲法があったからこそ、日本の平和は保たれた」と言い張っているが、単なる虚構に過ぎない。
もし、
「自衛隊、日米安保が存在せずに、日本の平和は守られたのか?」
を想像してみれば分かるはずだ。
自衛隊が存在しなかったら、直ちに北海道はロシアに占拠され、北朝鮮や韓国による離島占拠が始まり、沖縄県は中国に占拠され、その後は圧倒的武力を持ったロシアがかっさらうのは目に見えている。
続いて、渡辺謙さんは
「複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。」
と呟いているが、中国の南シナ海における不法な埋め立てによる軍事基地建設や、北朝鮮の国際法を無視したミサイル発射などを見れば、現在の国際社会の中で永遠に友人であり続ける担保はどこにもない。
「世界中み~んなお友だち
」
というお花畑的考えは捨てた方がいい。
「現実を見ろよ
」
と言いたいぜ。
利害が錯綜する国際社会の中では、万が一に備えておかねば、確実に占拠され、隷属されてしまうのが現実だ。
我が国の国民の生命、財産を守るのは政治の責務だ。
相手の装備が
「ポケットに忍ばせた拳や石ころ」
程度なら簡単に防ぐことができるが、
現実は、核ミサイルをはじめ、強力な軍備を持った国々が存在しているのだから、その事実を直視すべきだ。
「安全保障の問題は個人の交友関係とは別次元の話である」ことを認識すべきだ。
今回の渡辺謙さんのTwitterでの呟きは、
「安全保障について、日本が置かれている状況を理解できず、現実を見ていない人々におかしな影響を与えてしまう」発言だ。
いい加減に現実を見ろよ。
その内容は、
「一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。
どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。
その為に僕は世界に友人を増やしたい。
絵空事と笑われても。」
・ 渡辺謙 (@harryken311)
2015年8月1日
この呟きに賛同している人が多いというから、左翼主義がそこまで浸透しているのだから呆れる。
あのな、渡辺謙さんが呟いている、
「一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国」というのは、間違っている。
実際は朝鮮戦争の際に、
日本の海上保安庁に所属していた『日本特別掃海隊』が派遣されて掃海作業が実施された時に、死者が1名、負傷者18名の被害が出ているのだ。
つまり
「一人も兵士が戦死しない」
という事実はないのである。
少なくとも、このとき一名が亡くなっているのだ。
さらに、“戦死”ではないが、訓練中に自衛隊員の方々が命を落とすことも起きているのだ。
彼ら自衛隊員の命懸けの訓練によって、日本の安全保障は担保されている事実を知るべきだ。
この事実を無視して、身勝手な左翼バカ的理論を展開すべきではない。
渡辺謙さんの呟きは、それらを無視した無知無能な意見に過ぎない。
それに賛同するバカどもも同じく、日本が置かれている状況を理解できない左翼バカどもだ。
戦争ではなくとも、自衛隊員は命を落とすリスクを背負って国防に従事している。
自衛隊員に対する敬意が無いのは、あまりにもおかしいことだ。
それから、渡辺謙さんは
「どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!」
と呟いているってことは、日本国憲法が制定される過程において、何か如何わしいものを感じているのは、正しい。
だが、世界に誇るべきは憲法ではないことを知るべきだ。
日本の第二次世界大戦後の平和が担保されてきたのは、憲法のおかげではない

自衛隊と日米安保の存在によって平和が維持されてきたのだ

世界に誇るなら、
「自衛隊と日米安保によって平和を守ってきた」という事実そのものを誇るべきだ

GHQが主導して、日本が二度とアメリカに逆らわないように作った日本国憲法を誇るべきではない

日本国憲法は「平和憲法」などと呼ばれ、左翼主義者どもはそれをバイブルのように崇め、
「日本国憲法があったからこそ、日本の平和は保たれた」と言い張っているが、単なる虚構に過ぎない。
もし、
「自衛隊、日米安保が存在せずに、日本の平和は守られたのか?」
を想像してみれば分かるはずだ。
自衛隊が存在しなかったら、直ちに北海道はロシアに占拠され、北朝鮮や韓国による離島占拠が始まり、沖縄県は中国に占拠され、その後は圧倒的武力を持ったロシアがかっさらうのは目に見えている。
続いて、渡辺謙さんは
「複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。」
と呟いているが、中国の南シナ海における不法な埋め立てによる軍事基地建設や、北朝鮮の国際法を無視したミサイル発射などを見れば、現在の国際社会の中で永遠に友人であり続ける担保はどこにもない。
「世界中み~んなお友だち
」というお花畑的考えは捨てた方がいい。
「現実を見ろよ
」と言いたいぜ。
利害が錯綜する国際社会の中では、万が一に備えておかねば、確実に占拠され、隷属されてしまうのが現実だ。
我が国の国民の生命、財産を守るのは政治の責務だ。
相手の装備が
「ポケットに忍ばせた拳や石ころ」
程度なら簡単に防ぐことができるが、
現実は、核ミサイルをはじめ、強力な軍備を持った国々が存在しているのだから、その事実を直視すべきだ。
「安全保障の問題は個人の交友関係とは別次元の話である」ことを認識すべきだ。
今回の渡辺謙さんのTwitterでの呟きは、
「安全保障について、日本が置かれている状況を理解できず、現実を見ていない人々におかしな影響を与えてしまう」発言だ。
いい加減に現実を見ろよ。