生暖かい風が吹いた。
その風が灯りを消し、
不気味な気配が漂ってきた。
シュッ
何者かが櫃の傍に飛んできた。
義平は両肘を張り、
「ふん
」
と力を入れて白木造りの櫃を破り、愛刀・伯耆(ほうき)大原真守(まさもり)の鯉口を寛(くつろ)げ、柄に手を掛け、一気に居合の如く引き抜き、真っ向から斬りつけた。
ズバァッ
義平の手に確かな手応えが伝わる。
ドタッ
義平の斬撃を受けた雪の塊のような影は声一つあげることもできずに仰向けに倒れた。
だが、その影はフラフラと立ち上がろうとした。
義平はさらに踏み込んで袈裟懸けに斬った。
ドバァッ
ガンッ
義平の斬撃は櫃の下の石の端にまで達した。
すると、その影は義平の前から消えた。
よく目を凝らして見れば、大きな獣の左脚が血まみれになって一本転がっていた。
(義平)「いくら妖怪と言えども、脚一本斬られて遠くへは行けまい。夜明けを待って正体を見てやるか。」
義平は愛刀の血糊を拭い、鞘に収めて、祠の後ろに立つ朽ちかけたお堂に入り、横になって安眠を貪った。
夜が明けて、平治二年1月1日。
朝早く起きた長者の大洞太郎は、里の人々や奉公人たちを伴い、鎮守の森に向かった。
(長者)「あの若いお侍さんは…」
と、白髯(しらひげ)明神の森にやってきた。
辺りを見回すと、
石の上の櫃は破壊され、
祠の周りはおびただしい流血で雪が真っ赤に染まり、
大きな獣の左脚が転がっていた。


「お侍様~っ
」
口々に叫び、長者や奉公人たち、里の人々は必死に若武者(義平)を探した。
すると、朽ちかけたお堂の扉を開き、義平が現れた。
屹(きっ)と見据えた義平の面構えは威厳に満ちていた。
長者や奉公人たち、里の人々はその迫力におののいた。
(義平)「私は源氏の棟梁・左馬頭源義朝が嫡男、悪源太義平だ。
戦に敗れ、忍ぶ場所すらなく、信濃路に分け入ったが、山中に迷い、猟師の奥方に救われた。
この里の惨状を聞き、魔神の悪行を絶とうと身代わりをかってでた。
斬ってみれば、明神ではない。
よく見ろ、その正体は大きな獣だ
」
と、声を大にして言った。
長者や奉公人たち、里の人々は、「悪源太」と聞いて堂々とした若武者の豪胆さに納得し、平伏した。
(義平)「脚一本斬られては、いくら妖怪と言えども生きてはいまい。血の痕を辿るぞ
」
義平は里の男たちを指揮し、血に染まった雪を追い、山へと入っていった。
幾ほど歩いただろうか。
血の痕を追った先に見えたのは、2mを超える大きな猿の死体だった。
全身が銀色に輝く長い毛に被われ、両腕は長く、手のひらは膝下に届いていた。
義平の斬撃の一の太刀は大猿の左耳を削ぎ落とし、左肩から胸にかけて深く斬り込み、
二の太刀は、左脚を斬り落としていたのだった。
しかも、その斬撃の余力は櫃を置いた石の角を斬り落としていたほど。
たとえ大猿の妖怪と言えども、生き延びることは難しかった。
悪源太義平の愛刀・伯耆(ほうき)大原真守作の名刀は源氏に代々伝わる宝刀であり、
幾十回もの戦場を経験し、ある時は兜(かぶと)を割り、
幾多の敵の胴を鎧(よろい)ごと斬っても刃こぼれ一つしなかった業物(わざもの)だったが、石を斬ったのは今回が初めてだった。
この時以降、義平の愛刀・伯耆(ほうき)大原真守作の名刀は『石切真守』(いしきりまさもり)と呼ばれるようになった。
義平は長者や里の人々に感謝された。
長者は「さあ、今宵は我が家にて、ゆっくり休んでください」と、義平を屋敷に再び招き入れ、馳走の限りを尽くした。
義平は久しぶりに休養をとることができた。
だが、義平にとって完全に気が休まることはなかった。
なぜなら、義平は戦(平治の乱)に敗れて、平家の追手(おって)から逃げてきた身である。
(義平)「平家の追手に見つかれば、私を匿った(かくまった)罪を問われ、長者や里の人々が殺されてしまう。」
口には出さずとも、義平は里を出るつもりだった。
長者はそんな義平の心中を察し、里の若者に京の都の動静を探らせていた。
里の若者は京の都で、義平の父・源義朝が平家により討たれたこと、義平の弟も捕らえられたことを聞き、急いで大洞の里へと引き返し、長者に報告した。
(長者)「そうか…何と酷い(むごい)…我らの(命の)恩人の父上と弟君(おとうとぎみ)が…」
長者・大洞太郎は心優しく、また、義に厚い男であった。
(長者)「このまま義平様に知らせなかったとしても、隠し通す自信がない。ましてや、(恩人の)親兄弟の一大事。知らさねばならない。」
長者は、義平に父・義朝が平家に討たれ、弟が捕らわれたことを伝えた。
(義平)「太郎殿、世話になった。私は今から京へ行く。」
(長者)「おやめください。京の都はもはや平家の侍だらけですぞ。もし捕まったら…」
(義平)「目立たぬように闇に紛れ、影に潜み、京へ入る。そして、平家の者どもを斬って斬って斬り捨ててやる
」
もはや義平をとめる術(すべ)は長者にはなかった。
里の人々も義平に「行かないでください。里にいてください」とめたのだが、
(義平)「どの道、私はここに居られぬ運命(さだめ)なのだ。このままここに身を隠していたとしても、いつ(平家の)追手が来るとも限らん。追手に見つかれば、そなた達は無事ではすまんぞ。私を匿った(かくまった)罪で、どのような目に遭わされるか…。
そなた達には感謝している。私に恩義を感じ、何かと世話をしてくれた。
かたじけない。この通りだ」
義平は里の人々に向かって、深々と頭を下げた。
里の人々は驚いた。
武士が里の人々に対して感謝し、頭を下げたのである。
その義平の誠実な人柄に、里の人々はますます惚れた。
(義平)「達者でな。仲良く暮らせ。もし、平家の者どもがここへ来ても、私のことは『知らぬ』と言うがよい。」
義平は自分が里を去った後のことも考えていたのである。
義平は身支度を整え、里を去った。
京へ入ってしばらくした頃、平治2年1月20日、義平は石山寺の僧兵たちに捕らえられた。
平家の武士たちは「必ず義朝と弟の仇を討ちに京へ来る」と踏んで、都全域に網を張って(市井の者に変装し、そこかしこに目を光らせて)いたのである。
義平は処刑された。
わずか20年の生涯であった。
その散り際は潔く、笑みすら浮かべていたという。
「花は散り際、武士は死に際」
それを地で行く悪源太義平の生きざまだった。
その風が灯りを消し、
不気味な気配が漂ってきた。
シュッ
何者かが櫃の傍に飛んできた。
義平は両肘を張り、
「ふん

」と力を入れて白木造りの櫃を破り、愛刀・伯耆(ほうき)大原真守(まさもり)の鯉口を寛(くつろ)げ、柄に手を掛け、一気に居合の如く引き抜き、真っ向から斬りつけた。
ズバァッ
義平の手に確かな手応えが伝わる。
ドタッ
義平の斬撃を受けた雪の塊のような影は声一つあげることもできずに仰向けに倒れた。
だが、その影はフラフラと立ち上がろうとした。
義平はさらに踏み込んで袈裟懸けに斬った。
ドバァッ
ガンッ
義平の斬撃は櫃の下の石の端にまで達した。
すると、その影は義平の前から消えた。
よく目を凝らして見れば、大きな獣の左脚が血まみれになって一本転がっていた。
(義平)「いくら妖怪と言えども、脚一本斬られて遠くへは行けまい。夜明けを待って正体を見てやるか。」
義平は愛刀の血糊を拭い、鞘に収めて、祠の後ろに立つ朽ちかけたお堂に入り、横になって安眠を貪った。
夜が明けて、平治二年1月1日。
朝早く起きた長者の大洞太郎は、里の人々や奉公人たちを伴い、鎮守の森に向かった。
(長者)「あの若いお侍さんは…」
と、白髯(しらひげ)明神の森にやってきた。
辺りを見回すと、
石の上の櫃は破壊され、
祠の周りはおびただしい流血で雪が真っ赤に染まり、
大きな獣の左脚が転がっていた。


「お侍様~っ
」口々に叫び、長者や奉公人たち、里の人々は必死に若武者(義平)を探した。
すると、朽ちかけたお堂の扉を開き、義平が現れた。
屹(きっ)と見据えた義平の面構えは威厳に満ちていた。
長者や奉公人たち、里の人々はその迫力におののいた。
(義平)「私は源氏の棟梁・左馬頭源義朝が嫡男、悪源太義平だ。
戦に敗れ、忍ぶ場所すらなく、信濃路に分け入ったが、山中に迷い、猟師の奥方に救われた。
この里の惨状を聞き、魔神の悪行を絶とうと身代わりをかってでた。
斬ってみれば、明神ではない。
よく見ろ、その正体は大きな獣だ
」と、声を大にして言った。
長者や奉公人たち、里の人々は、「悪源太」と聞いて堂々とした若武者の豪胆さに納得し、平伏した。
(義平)「脚一本斬られては、いくら妖怪と言えども生きてはいまい。血の痕を辿るぞ
」義平は里の男たちを指揮し、血に染まった雪を追い、山へと入っていった。
幾ほど歩いただろうか。
血の痕を追った先に見えたのは、2mを超える大きな猿の死体だった。
全身が銀色に輝く長い毛に被われ、両腕は長く、手のひらは膝下に届いていた。
義平の斬撃の一の太刀は大猿の左耳を削ぎ落とし、左肩から胸にかけて深く斬り込み、
二の太刀は、左脚を斬り落としていたのだった。
しかも、その斬撃の余力は櫃を置いた石の角を斬り落としていたほど。
たとえ大猿の妖怪と言えども、生き延びることは難しかった。
悪源太義平の愛刀・伯耆(ほうき)大原真守作の名刀は源氏に代々伝わる宝刀であり、
幾十回もの戦場を経験し、ある時は兜(かぶと)を割り、
幾多の敵の胴を鎧(よろい)ごと斬っても刃こぼれ一つしなかった業物(わざもの)だったが、石を斬ったのは今回が初めてだった。
この時以降、義平の愛刀・伯耆(ほうき)大原真守作の名刀は『石切真守』(いしきりまさもり)と呼ばれるようになった。
義平は長者や里の人々に感謝された。
長者は「さあ、今宵は我が家にて、ゆっくり休んでください」と、義平を屋敷に再び招き入れ、馳走の限りを尽くした。
義平は久しぶりに休養をとることができた。
だが、義平にとって完全に気が休まることはなかった。
なぜなら、義平は戦(平治の乱)に敗れて、平家の追手(おって)から逃げてきた身である。
(義平)「平家の追手に見つかれば、私を匿った(かくまった)罪を問われ、長者や里の人々が殺されてしまう。」
口には出さずとも、義平は里を出るつもりだった。
長者はそんな義平の心中を察し、里の若者に京の都の動静を探らせていた。
里の若者は京の都で、義平の父・源義朝が平家により討たれたこと、義平の弟も捕らえられたことを聞き、急いで大洞の里へと引き返し、長者に報告した。
(長者)「そうか…何と酷い(むごい)…我らの(命の)恩人の父上と弟君(おとうとぎみ)が…」
長者・大洞太郎は心優しく、また、義に厚い男であった。
(長者)「このまま義平様に知らせなかったとしても、隠し通す自信がない。ましてや、(恩人の)親兄弟の一大事。知らさねばならない。」
長者は、義平に父・義朝が平家に討たれ、弟が捕らわれたことを伝えた。
(義平)「太郎殿、世話になった。私は今から京へ行く。」
(長者)「おやめください。京の都はもはや平家の侍だらけですぞ。もし捕まったら…」
(義平)「目立たぬように闇に紛れ、影に潜み、京へ入る。そして、平家の者どもを斬って斬って斬り捨ててやる
」もはや義平をとめる術(すべ)は長者にはなかった。
里の人々も義平に「行かないでください。里にいてください」とめたのだが、
(義平)「どの道、私はここに居られぬ運命(さだめ)なのだ。このままここに身を隠していたとしても、いつ(平家の)追手が来るとも限らん。追手に見つかれば、そなた達は無事ではすまんぞ。私を匿った(かくまった)罪で、どのような目に遭わされるか…。
そなた達には感謝している。私に恩義を感じ、何かと世話をしてくれた。
かたじけない。この通りだ」
義平は里の人々に向かって、深々と頭を下げた。
里の人々は驚いた。
武士が里の人々に対して感謝し、頭を下げたのである。
その義平の誠実な人柄に、里の人々はますます惚れた。
(義平)「達者でな。仲良く暮らせ。もし、平家の者どもがここへ来ても、私のことは『知らぬ』と言うがよい。」
義平は自分が里を去った後のことも考えていたのである。
義平は身支度を整え、里を去った。
京へ入ってしばらくした頃、平治2年1月20日、義平は石山寺の僧兵たちに捕らえられた。
平家の武士たちは「必ず義朝と弟の仇を討ちに京へ来る」と踏んで、都全域に網を張って(市井の者に変装し、そこかしこに目を光らせて)いたのである。
義平は処刑された。
わずか20年の生涯であった。
その散り際は潔く、笑みすら浮かべていたという。
「花は散り際、武士は死に際」
それを地で行く悪源太義平の生きざまだった。