戦(平治の乱)に敗れ、敵に追われた源氏の一族朗党は散り散りになっていた。

ある者は討たれ、
またある者は捕縛された後に幽閉され、
遠くに逃げ切ったが行き倒れ、そのまま亡くなったり、行方不明となった者もおり、

その惨状は目も当てられないほどだった。


源義朝(みなもとのよしとも)の長男、悪源太義平(=あくげんたよしひら。あまりにも強く豪胆なために「強さ」を表す“悪”をその称号として用いられた。本名は源義平)も、敵の追撃に遭い、命からがら京の都から逃げ出した。

信濃路を抜け、関東を目指したが、野武士どもの奇襲に仲間の武士たちも一人また一人と倒れ、

乗っていた馬さえも疲労のあまり息絶えてしまった。

ただ一人となった義平は死に物狂いで闘い、野武士たちを倒した。

だが、その激闘のために身につけていた甲冑は破損し、

「このまま具足(=甲冑、鎧兜一式のこと)を(身に)つけていたのでは、重みに力が削がれる」

と考えた義平は甲冑を脱ぎ捨て、

野武士のような軽装となり、険しい山の中を歩いて行った。


時は冬。

ただでさえ冬は寒さが厳しい信濃路である。

山道は一面が雪で真っ白になっていた。

「こんなに雪が…さすがに(食い物になる)獲物もいないか…」

義平は仕方なく、木の皮や草の根を噛んで餓えをしのいでいた。

渓谷を渡り、山の峰を越え、

疲れた足をひきずりながら歩いた。

そんなある日、渓谷を隔てたところに細々と立ち上る煙を見た。

「あれは!?まさか、こんな山の中に人里があるのか…」

義平は立ち上る煙の方へ向かった。


辿り着いてみれば、そこは一軒の猟師小屋で、一人の女が朝餉(=あさげ。朝食のこと)の用意をしていた。


義平は「突然、驚かせてすまない。ここ数日山の中をさ迷い、木の皮や草の根しか口にしていない。少しでもいい。何か食べさせてくれないか?」
と助けを求めた。

女は哀れに思い、
「それはお困りでしょう。あいにく、粟飯(あわ)と野菜の味噌汁くらいしかありませんが、どうぞお召し上がりください」
と、義平を小屋に入れて、囲炉裏のそばに座らせ、
すぐに粟飯と野菜の味噌汁を食べさせてくれた。


「かたじけない。すまぬが少しだけでいい。休ませてくれぬか。あまりにも疲れて…。少し休んだら、ここを立ち去るゆえ…」

義平は疲れていた。

都を追われ、野武士どもの奇襲に仲間の武士たちを失い、

雪深い山道を食べ物さえもなく、木の皮や草の根しか口にできずに歩き続け、

鍛え上げた武士といえども、過酷な状況に体力を削がれたのだった。


小屋の主婦は
「それならば、風呂に入って汚れを落とし、ゆっくりお休みください」
と風呂を沸かし、

「ここに主(=主人)の着物ですが置いておきますので、お着替えください」
と着替えも用意してくれた。


義平が風呂から上がり、着替えて小屋に戻ると、布団が敷いてあった。

義平は主婦の心遣いに感謝した。

義平は久しぶりに足を伸ばして安眠できた。


どれほど眠ったろう。

あたりはすっかり暗くなっていた。


目覚めた義平は、主婦の主が帰宅した様子がないことを不思議に思い、その理由を聞いてみた。


すると、主婦は「ここは継母山の麓で大洞(おおほら)という里です。
この里の長者に大洞太郎という立派な方がいます。
誰とも分け隔てなく接し、里の人々はみんな長者様を慕っています。

実は、その長者様の一人娘を生け贄に捧げなければならなくなったのです。」


(義平)「なぜ大事な一人娘を生け贄に?それに何の生け贄にしようというのだ?」

(主婦)「この里には“白髯(しらひげ)明神”という神様がおり、毎年一人ずつ若い娘を生け贄に捧げることを要求しているのです。
もし、それを断れば里は荒れ果て全ての作物が採れなくなるどころか、山の獲物さえもいなくなるのです。
それで、泣く泣く里の者はみんな自分たちの娘を順番に生け贄に…。
そして、今夜はいよいよ長者様の一人娘を生け贄に捧げる番となったのです。
それで、里の人々が長者様の家に集まり、(娘さんのために)最後の宴を催しているのです。」


それを聞いた義平は憤慨した。

(義平)「そんなことが許されてたまるかむかっ
神は人に幸せをもたらす者だ。
人に災いなす者など神ではない!!
生け贄だと?
人を喰らう神がどこにいる?
おそらく、そいつは神を騙った妖怪に違いない。
俺が斬って捨ててやる!!
俺がその娘の身代わりになろう。
長者の家まで案内してくれ!!
と申し入れた。

主婦は大いに喜び、義平を長者の家に案内した。


長者の家は涙にくれていた。


義平は娘の身代わりをかってでた。

若い武士の申し出に、長者一家は喜んだ。

「我等をお救いくだされ。何なりとお申し付けください。」

長者夫婦は義平を入浴させ、
髪を結い上げ、白羽二重の二枚重ねの着物に、浅黄無地の袴を着せて、

奥座敷へと迎い入れ、馳走した。


長者一家は、義平が何ら臆することなく落ち着き払っているのを見た。

この時、悪源太義平は19歳。

身の丈は約182㎝の長身で、
色白だが筋骨逞しく、眉目秀麗であった。

さすがは源氏の御曹司である。

その堂々とした姿はあまりに神々しく、周りを圧倒していた。

(義平)「さあ、行こう。」

義平は伯耆(ほうき)大原真守作の愛刀と、備前国助近作の腰刀を帯び、白木造りの櫃(ひつ)に入った。

里の人々は「こんな若い武士とて、神には敵うまい。惜しいことよ」と囁きあいながら、櫃に蓋をし、

前後8人で担ぎ上げて、鎮守の森に運んだ。

その森には古びた祠(ほこら)があり、その前に一坪(約3.3m四方)の石の上に生け贄が入った櫃を置き、

祠に灯りを点し、神官の祝詞(のりと)をあげることになっていた。

祝詞が終わると、長者をはじめ、里の人々は一目散に逃げた。

静寂が訪れた…。

時は平治元年12月31日の真夜中。

常人ならば、寒さと恐怖に気がおかしくなっているほどである。

だが、義平は源氏の中でも“剛の者”として知られた若武者である。

闘いの準備は整っていた…。