5月1日の夕方になりましたので、『やわらか頭クイズ 2015』第38弾です。
では、もう一度問題を見てみましょう。
今回は日本史クイズです。
長篠の戦い
↑
1575年、武田軍の騎馬隊vs織田軍鉄砲隊という戦で有名です。
織田信長は長篠の戦いで、3000挺(ちょう)の鉄砲を用いて“鉄砲三段撃ち”を行い、武田騎馬隊を撃破したといいます。
果たして、本当にそうでしょうか?
①Yes
②No
一つ選んで答えてください。
=解答および解説=
正解は、②「No」です。
実際、織田軍が所持していた鉄砲は1000挺程度であり、
三段撃ちは効率が悪い戦法です。
一列目が撃ち終わったら最後尾に下がって火薬と弾を詰め直し、
二列目が前に出て撃ち終わったら最後尾に下がって……。
という撃ち方をする場合は、隊列が移動するための横の間隔を相当とる必要があり、
織田軍が陣を敷いていた設楽原(したらがはら)は山と川に挟まれているため、広さに余裕がなかった。
この鉄砲三段撃ちは、火縄銃の弾と火薬を詰めるのに時間がかかることにばかり着目された後世の創作です。
※当ブログのアメンバーの皆様、読者の皆様、また、当ブログへ訪問してくださった方々へお知らせします。
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これにより、ペタを残すことができませんので、どうかご了承ください。
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織田軍が陣を敷いていた設楽原(したらがはら)は山と川に挟まれているため、広さに余裕がなかった。
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