15日の夕方なりましたので、「『やわらか頭クイズ』415」の正解を発表します。
では、もう一度問題を見てみましょう。
今回は、日本史クイズ(戦国時代編)です。
群雄割拠の戦国時代。
武家の娘は剣を習い、薙刀(なぎなた)や乗馬もこなし、自決の作法も学んでいました。
それは落城の際に敵から辱しめを受けないために、武家としてのプライドと人間としての尊厳を守るためでした。
そんな武家の娘たちは、時には頼もしい戦力にもなりました。
そんな武家の娘たちの中にはあまりにも壮絶な経験をした娘がいました。
それは次の①~③のうちどれでしょうか?
①父親の介錯(かいしゃく)をした
②落城の際、身体に火薬を巻き付け爆死
③敵と果敢にも闘い、立ったまま絶命
一つ選んで答えてください。
=解答および解説=
正解は、①「父親の介錯(かいしゃく)をした」です。
筑後の猫尾城(現在の福岡県八女市黒木町)に13歳になる娘がいた。
彼女はその猫尾城の城主・黒木家永(くろきいえなが)の末娘だった。
黒木家永は筑後守護についた大友宗麟(おおともそうりん)に従属する武将であった。
大友宗麟の軍が耳川の戦いで島津氏に大敗すると、
龍造寺隆信は黒木家永に味方になるように使者を送ったが、これを拒否。
そんな時、家永の弟・黒木益種(くろきますたね)が龍造寺軍を率いる鍋島直茂(なべしまなおしげ)に討ち取られ、
家永の長男・黒木定実(くろきさだざね)が討ち死にすると、ついに屈伏。
龍造寺氏側は人質として家永の次男・四郎丸(黒木延実)を求め、
泣く泣くその要求に応じ、ついに龍造寺氏に寝返った。
天正12(1584)、島原沖田畷(おきたなわて)で、島津・有馬連合軍と龍造寺隆信が戦い、戦死すると状況は一変する。
龍造寺隆信の死をチャンスと考えた大友氏は、龍造寺氏に寝返った黒木家永を誅伐(ちゅうばつ)することで、筑後での権威回復を狙った。
当時、大友宗麟は家督を嫡男・義統(よしむね)に譲っていた。
義統にとって黒木家永は父を裏切った逆臣、絶対に許せなかった。
そこで、家永の猫尾城を12000の兵で攻めた。
家永は龍造寺氏から2000の兵を援軍として、自軍3000と合わせて5000の兵で迎え撃った。
数に勝る大友軍だったが、優れた家臣を先の戦で失っていたため、有能な指揮官のない大軍は“独活の大木”、3ヶ月も膠着状態が続く大失態を演じた。
大友義統は戸次道雪(べつきどうせつ)と高橋紹運(たかはしじょううん)に応援を求めた。
彼らは猫尾城の構えを注意深く観察すると、
「正攻法で攻撃しても死傷者が数多く出るだけだ。ならば…」
彼らは忍(しのび)や間者を放ち、徹底的に猫尾城の内部を調べあげると、
内通者を得て、内部からの崩壊を狙った。
黒木氏の家老・椿原式部正治(つばはらしきぶまさはる)を寝返らせ、その居城・高牟礼城(たかむれじょう)から猫尾城に向けて鉄砲で発砲させた。
すると、黒木家の家老が裏切ったという衝撃は、黒木軍の結束をズタズタにした。
椿原式部正治は、忍(しのび)を猫尾城に潜伏させ、深夜に城中のあちこちに放火させた。
防御を内側から破壊された猫尾城に、大友軍が殺到。
黒木家永を守る家臣たちは次々と戦死していった。
ついに家永は本丸の櫓(やぐら)の2階に追い詰められた。
家永のそばに居たのは、武勇に優れた13歳の末娘だけだった。
火に包まれ、煙が流れ込む中、階下からは敵軍の足音が近づいてくる。
「ここまでか…。」
覚悟を決めた家永は、甲冑をその身に纏いそばに控える末娘に言った。
「ここまでだ。
敵の手にむざむざこの首を渡すつもりはない。
この場にて腹を斬る。
わしの介錯(かいしゃく)を頼む」
父と共に死ぬ覚悟を決めていた娘には寝耳に水だった。
「嫌だ。死ぬなら…」
娘の言葉を遮るように家永は、
「父の願いじゃ。頼む」
敵軍は近くまで迫っていた。
敵の足音が近づいてくる。
尊敬する父が敵の手にかかるのを黙って見ていいのか?
だったら、今自分にできることは私が父の介錯をしてやるしかない。
それが親孝行なのだ。
13歳の少女はあまりにも非情な決断を受け入れた。
家永は娘の表情から介錯を受け入れたことを読み取ると、武具を脱ぎ捨て、
愛娘に笑顔を向け、
「さらばじゃ」
一気に刀で腹を斬った。
少女は構えた刀を振り下ろし、見事介錯をとげた。
「父上…」
涙ながら床に転がった父・家永の首を抱えると、
駆け上がってきた敵軍に向き直った。
父の生首を左に抱え、
右手で刀を構えて敵軍にたった一人で斬り込んでいく少女に、
大友軍は恐れ、怯んだ。
立ちはだかる敵を次々と斬り、刺し貫き、倒していった…。
13歳の少女は既に死を覚悟していた。
一方、大友軍は勝ちを確信し、そこに油断があった。
その油断ゆえに瞬く間に数多くの死傷者が増えていった。
大友軍は怖じけづき、階下に後退、
階上に仁王立ちになった少女は、
「ここから先は通さぬ
」
再び攻め上ろうとする大友軍と対峙した。
切っ先を向けジリジリと迫る敵に、
少女は手にした刀を放り投げ、
父の生首を投げつけると、
「さっさと殺るがいい」
その場に泣き崩れた。
少女は大友軍に捕らえられ、幽閉された。
だが、女であるがゆえに処罰されず、
黒木家永の長女が嫁ぐ高良大社の座主・麟圭の元に預けられた。
武家の間では、この13歳の少女の武勇が称賛された。
「ぜひにも妻に迎えたい」という武士が数多く現れた。
少女はやがて、佐賀藩主・鍋島直茂(なべしまなおしげ)の家臣の大木兵部輔主計(おおきひょうぶのすけかずえ)の妻になり、
二人の息子に恵まれたという。
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では、もう一度問題を見てみましょう。
今回は、日本史クイズ(戦国時代編)です。
群雄割拠の戦国時代。
武家の娘は剣を習い、薙刀(なぎなた)や乗馬もこなし、自決の作法も学んでいました。
それは落城の際に敵から辱しめを受けないために、武家としてのプライドと人間としての尊厳を守るためでした。
そんな武家の娘たちは、時には頼もしい戦力にもなりました。
そんな武家の娘たちの中にはあまりにも壮絶な経験をした娘がいました。
それは次の①~③のうちどれでしょうか?
①父親の介錯(かいしゃく)をした
②落城の際、身体に火薬を巻き付け爆死
③敵と果敢にも闘い、立ったまま絶命
一つ選んで答えてください。
=解答および解説=
正解は、①「父親の介錯(かいしゃく)をした」です。
筑後の猫尾城(現在の福岡県八女市黒木町)に13歳になる娘がいた。
彼女はその猫尾城の城主・黒木家永(くろきいえなが)の末娘だった。
黒木家永は筑後守護についた大友宗麟(おおともそうりん)に従属する武将であった。
大友宗麟の軍が耳川の戦いで島津氏に大敗すると、
龍造寺隆信は黒木家永に味方になるように使者を送ったが、これを拒否。
そんな時、家永の弟・黒木益種(くろきますたね)が龍造寺軍を率いる鍋島直茂(なべしまなおしげ)に討ち取られ、
家永の長男・黒木定実(くろきさだざね)が討ち死にすると、ついに屈伏。
龍造寺氏側は人質として家永の次男・四郎丸(黒木延実)を求め、
泣く泣くその要求に応じ、ついに龍造寺氏に寝返った。
天正12(1584)、島原沖田畷(おきたなわて)で、島津・有馬連合軍と龍造寺隆信が戦い、戦死すると状況は一変する。
龍造寺隆信の死をチャンスと考えた大友氏は、龍造寺氏に寝返った黒木家永を誅伐(ちゅうばつ)することで、筑後での権威回復を狙った。
当時、大友宗麟は家督を嫡男・義統(よしむね)に譲っていた。
義統にとって黒木家永は父を裏切った逆臣、絶対に許せなかった。
そこで、家永の猫尾城を12000の兵で攻めた。
家永は龍造寺氏から2000の兵を援軍として、自軍3000と合わせて5000の兵で迎え撃った。
数に勝る大友軍だったが、優れた家臣を先の戦で失っていたため、有能な指揮官のない大軍は“独活の大木”、3ヶ月も膠着状態が続く大失態を演じた。
大友義統は戸次道雪(べつきどうせつ)と高橋紹運(たかはしじょううん)に応援を求めた。
彼らは猫尾城の構えを注意深く観察すると、
「正攻法で攻撃しても死傷者が数多く出るだけだ。ならば…」
彼らは忍(しのび)や間者を放ち、徹底的に猫尾城の内部を調べあげると、
内通者を得て、内部からの崩壊を狙った。
黒木氏の家老・椿原式部正治(つばはらしきぶまさはる)を寝返らせ、その居城・高牟礼城(たかむれじょう)から猫尾城に向けて鉄砲で発砲させた。
すると、黒木家の家老が裏切ったという衝撃は、黒木軍の結束をズタズタにした。
椿原式部正治は、忍(しのび)を猫尾城に潜伏させ、深夜に城中のあちこちに放火させた。
防御を内側から破壊された猫尾城に、大友軍が殺到。
黒木家永を守る家臣たちは次々と戦死していった。
ついに家永は本丸の櫓(やぐら)の2階に追い詰められた。
家永のそばに居たのは、武勇に優れた13歳の末娘だけだった。
火に包まれ、煙が流れ込む中、階下からは敵軍の足音が近づいてくる。
「ここまでか…。」
覚悟を決めた家永は、甲冑をその身に纏いそばに控える末娘に言った。
「ここまでだ。
敵の手にむざむざこの首を渡すつもりはない。
この場にて腹を斬る。
わしの介錯(かいしゃく)を頼む」
父と共に死ぬ覚悟を決めていた娘には寝耳に水だった。
「嫌だ。死ぬなら…」
娘の言葉を遮るように家永は、
「父の願いじゃ。頼む」
敵軍は近くまで迫っていた。
敵の足音が近づいてくる。
尊敬する父が敵の手にかかるのを黙って見ていいのか?
だったら、今自分にできることは私が父の介錯をしてやるしかない。
それが親孝行なのだ。
13歳の少女はあまりにも非情な決断を受け入れた。
家永は娘の表情から介錯を受け入れたことを読み取ると、武具を脱ぎ捨て、
愛娘に笑顔を向け、
「さらばじゃ」
一気に刀で腹を斬った。
少女は構えた刀を振り下ろし、見事介錯をとげた。
「父上…」
涙ながら床に転がった父・家永の首を抱えると、
駆け上がってきた敵軍に向き直った。
父の生首を左に抱え、
右手で刀を構えて敵軍にたった一人で斬り込んでいく少女に、
大友軍は恐れ、怯んだ。
立ちはだかる敵を次々と斬り、刺し貫き、倒していった…。
13歳の少女は既に死を覚悟していた。
一方、大友軍は勝ちを確信し、そこに油断があった。
その油断ゆえに瞬く間に数多くの死傷者が増えていった。
大友軍は怖じけづき、階下に後退、
階上に仁王立ちになった少女は、
「ここから先は通さぬ
」再び攻め上ろうとする大友軍と対峙した。
切っ先を向けジリジリと迫る敵に、
少女は手にした刀を放り投げ、
父の生首を投げつけると、
「さっさと殺るがいい」
その場に泣き崩れた。
少女は大友軍に捕らえられ、幽閉された。
だが、女であるがゆえに処罰されず、
黒木家永の長女が嫁ぐ高良大社の座主・麟圭の元に預けられた。
武家の間では、この13歳の少女の武勇が称賛された。
「ぜひにも妻に迎えたい」という武士が数多く現れた。
少女はやがて、佐賀藩主・鍋島直茂(なべしまなおしげ)の家臣の大木兵部輔主計(おおきひょうぶのすけかずえ)の妻になり、
二人の息子に恵まれたという。
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