昨晩(←日付が変わってしまったので)は地元では“地蔵盆”(寺の中に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっているもの)の縁日があった。
久々に聞く祭囃子の音は懐かしく、町を仄かに燈す蝋燭の灯や提灯の明かりは幻想的だ。
また、露店も“金魚すくい”や“ヨーヨー釣り”、“輪投げ”、“綿菓子”、“りんご飴”、“チョコバナナ”、“タコ焼き”、“焼きそば”、“フランクフルトソーセージ”等々の懐かしいものが並んでいた。
子供の頃は縁日と聞けば、露店目当てで出かけたものだ。
大人になってからは仕事の忙しさに疲れ、「わざわざ人混みの中に出掛ける必要もない。 疲れをとるために休む方が先決。」とばかりに、“縁日”や“祭り”と名のつくものは避けてきた。
大学卒業後、就職してからは仕事一筋に生きていた。
しかし、気がつけば身体も心もボロボロだった・・・。
病に倒れ、一時は死を覚悟した(←自殺を考えたわけではなく、「自分の大切な人や家族、そして、友人たちに何を残せるのか?」と、そんなことばかりを考えていた)こともあった。
だが、職場を離れ、治療に専念した結果、病を克服。
俺は生きることが出来た。
縁日を見ると、病室の窓から見えていた“盆踊り”の風景を思い出す。
「今がどん底なら、這い上がるだけだ。」と、自分に言い聞かせて歯を食いしばってきた。
その甲斐があって、俺は今も生きている・・・。
今回は、ちょっと感傷的になってしまったかな。