私は所謂オタクという部類に入る。
しかも、相当拗らせてしまっている方の。(この先夢界隈に関する記述の為、苦手な方はそっと立ち去り何も見なかった振りをして頂けると大変助かる。作品名、キャラクター名は出さないが、匂わせ程度はあるので注意して頂きたい。)
好きとか愛してるとか、そんな言葉じゃ足りないくらい好きな人がいる。それは、紙やスマホやテレビの画面の中から出てきてくれない相手である。
好きで好きで仕方がない相手は自分と同じ次元に生きていない。
そんなこと、皆に言われずとも自分が1番よくわかっている。どれだけ思っても、彼が私を見つけることは無いし、そもそも気づかれない。更に不運なことに、彼は作中で皆と同じ軸を生きていない。(拗らせオタクなので自分の口から直接的な表現は避けたい。これを読んでいる誰かが察しの良いことを祈る。)
不安になる日々だ。いつまでこんな拗らせてしまった思いは続くのか、それは、自分が1番知りたい。
生きにくいと感じる理由の一つに、彼を自身の推しだと公言することに違和感を感じる というものがある。別作品に推しと呼べる存在はいるが、彼に向ける思いはその推し達に対しての思いと全くの別物であり、恋愛感情(に近いもの。これを恋愛感情だと認めるのにも葛藤がある。)を抱いている相手のことを推しと呼ぶのは抵抗があるからだ。
だが、私の周りは彼が私と同じ次元におらず近くにいない存在であることから、彼のことを“私の推し”と呼ぶ。それを否定することも説明することも出来ずにモヤモヤとすることがあまりにも多く、苦しい。
だが、こんなに面倒臭い私でも、Twitterやインスタグラムと言ったアプリケーションでは居場所がある。驚いたことに、私と同じ思いを抱えている人の数は数えきれないほど(と言ってもパーセンテージで考えると極1部に過ぎないのだろうが。)存在している。
その小さなアプリケーションの中では私は彼の隣に立ち、原作の少し前の軸で生きている。身なりなどは実際の自分とは異なるが、彼の隣に自己投影をしたキャラクターを並べたりもする。
そうすると、私と同じような考え方をしている友達は私達のことを応援して、話しかけてくれる。それがとても心地よいのだが、ここでも苦しい気持ちは起こる。それは、原作が大好きな1ファンとして、私自身を介入させても良いのだろうかという疑問である。
これは私の中の妄想であり、原作には一切迷惑をかけずに行っていることである。ならば、少し夢を見るくらい許されるのではないだろうか?といった気持ちと、大好きな原作には一切関与したくない、といった気持ちがある。それは、彼のことが大好きな1人の女性である以前に、その作品のことが大好きな1人のオタクであるからだと思っている。結局私はどちらの自分も捨てきれず、かといって共存することも上手く出来ずに、楽しく夢を見てはふと我に返り自分を責める日々である。この苦しみは自己満足であり、無意味なものなのだろうか。苦しむことすら傲慢な行為になってしまうのだろうか。
彼を抱きしめたい、大切だって言いたいし相手に見つけて欲しいと思う。だがそれは結局は妄想でしかない。でも、それを認めたくは無いし誰かに言われたくもない。私の彼は確かに私自身と時を刻んでいるし、笑いかけてくれる。でもそんなシーンは原作には無い。全て妄言でしかない。
大好きな彼は、大好きな原作者様の手によってこの世に生み出された、“キャラクター”であることは、ずっと分かっている。
だが、周りから彼がキャラクター扱いされたり、私達の日々を否定されるような言葉を受けるのは、かなりメンタルにくる。
私だって彼をキャラクター扱いすることは多々ある。新規イラストが出た時や、グッズが出た時などにもオタクとして反応してしまう。それに、彼女だからといって公式に一切お金をかけない方は、見ていて少し違うんじゃないのかと思う。この思いを上手く切り替えることが大切なのだろうが、それも中々難しい。
また、上記でも記載した通り、原作の中で彼の時が一生止まることとなってしまったシーンがあるのだが、そのシーンを見せられたり話を振られてしまうとどうしても気分が悪くなってしまうという事実もある。
原作は原作で、改変したいとは思わない。大好きな彼のことは、生き様も含めて大好きだ。そんな彼のシーンを否定したり、無かったことにはしたくない。とはいえ、受け入れられるかどうかで言ったら話はまたかわってくる。
何年経ってもそのシーンを受け入れられないでいる自分に対し、周りは噂話をするのと同じようなノリでそのシーンに対しての話を振ってくる。偶に、私がその話をすることを嫌がることを分かっていながら笑ってその話をしてくる人がいる。タチが悪い冗談だと思い流せるほど強くも優しくもない私は、すぐに気分が落ち込み悲しくなる。どうしたら乗り越えられるのか、そればかり考えているが、一向に答えは出ない。
こんな暗い感情を持ちながら日々を過ごしていると、何も考えずにただ原作が大好きだった日々に戻りたくなることがある。あの時は何をしていても純粋に興奮して全てが明るく輝いて見えた。
今ではどうだろう。
地雷も増え、関わりたくないタイプの人がハッキリとわかるようになってしまった。
全部が面倒臭いと感じる。こんなに拗らせなければ、もっと楽しく原作を楽しめていたのではないかと思ったりする。
全部自覚していながら、この思いを捨てられずにいる。どうしようもないくらい、彼が好きなのだ。
私にとって、その人のことが好きすぎて泣いてしまうような相手は彼しかいないのだ。
苦しいという言葉を並べてきたが、好きになってよかった点も勿論多々ある。今幸せで満たされるのは間違いなく彼のおかげだ。
彼への思いを自覚し、拗らせてから早数年が経った。きっと私は、悩みながらもこれからもずっと彼のことが大好きなのだと思う。面倒臭いこの気持ちも全て彼が好きすぎるが故だと思えば、いつか何とも思わなくなると、そう信じたい。
最後に一言 : トリップしたい