お久し振りです!
とっても久しぶりになってしまいました

じつはわたくし、来月イタリア旅行に行くことになっております。。
年に一度の連続休暇が、やっとこさもうすぐやってきます。

それから、10月にはイタリア語検定2級に再チャレンジする予定です。
少しずつでも、イタリアに近づいていきたいなと思います(^-^)

さて、夏は怪談の季節ということで、今回も例の本からひとつ紹介したいと思います。

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今回はとある屋敷の話です。
ヴェネツィアのいわゆる「屋敷」という建物は、ひとこと"Ca'"で表します。

たとえば、Ca' d'oro。
黄金の館という意味ですが、大運河沿いの館のなかでも特に美しいと有名な、旧コンタリーニ家の屋敷です。


(撮影:Fiorinetta)

あの運河沿いの立派な建物は、商館など公的なものを除けばほぼ元個人宅で、建てられたのは殆どが15、16世紀です。
15世紀頃までヴェネツィアは地中海の商業を支配し、莫大な富を築いていましたが、貴族の生活も非常に地味だったと言われています。というのもフローは莫大だがストックが薄い状況、資産はほとんど商業資本に費やし、余裕資金はあまりなかったということのようです。


とある貴族は常から何万ドゥカーティにもなる大口の商取引を行っていたにもかかわらず、たった10ドゥカーティの現金を得るため指輪を質に入れた、というのは有名なエピソード。妻の持参金を商売に使ってしまったというのもよくある話だったようです。

ところがヴェネツィアの海上交易が下り坂に差し掛かると土地や手工業への投資が増え、貴族の手元に残るお金が増えてきました。
潜在的に顕示的消費へのあこがれを持っていたヴェネツィア貴族たちは、余裕資金ができたことで贅沢への消費も増えました。ヴェネツィアでもフィレンツェ、ローマに遅れること数十年、ルネサンスが開花します。
美しい街並みはとかくイメージしがちである海上交易の全盛期にできたのではなく、商業衰退期に生まれました。15、16世紀には市内の建築工事の4割が貴族の私邸であったそうです。


さて、こうして建てられた屋敷はそれぞれ色々なエピソードを持っているのですが、今回の話に登場するCa' Darioという館は、かなり異様なようです。


殺す屋敷

Giovanni Darioは庶出の娘の夫であるバルバロ家の若者に屋敷を与えた。その後まもなく、GiovanniDarioは大評議会から追放され、婿は破滅し、娘は悲しみのあまり死んでしまった。
続いて、17世紀にこの屋敷に住んでいたGiacomo Barbaroは、カンディアで総督の任に就いていたとき殺害された。
屋敷はその後アルメニア人の宝石商Arbit Abdollの手に渡るが、屋敷の呪い――そのとき既に民衆の間で囁かれていた――はまたしても牙を剥いた。彼は全てを失い、貧窮のうちに亡くなった。

何世紀もの間、不思議なことに、この屋敷に訪れる客人には何事も起こらず、常に所有者だけが災難を受けた。唯一の例外は1838年から1842年にここに住んでいたイングランド人学者Rawdon Brownの友人だ。両者とも自殺であったが、特にBrownは全てを失ってのことだった。

次の出来事までには、近代まで数十年を待つ必要がある。この物件を所有したアメリカの富豪であるCharles Briggsは同性愛のスキャンダルによりイタリアから逃れた。彼の愛人は直後にメキシコで自殺した。
60~70年代、LanzeのFilippo Giordano伯爵もまた、まさにこの屋敷のなかで、愛人の男に頭部を像で殴打されて人生を終えた。彼のケースでは愛人のRaulは、ロンドンへ逃げて行方不明になった。
死は1981年、Christpher Lambertをも襲った。有名ロックバンドThe Whoのマネージャーである彼は、Ca' Darioの所有者となり、呪いから免れなかった。

だれしもこの屋敷に漂う恐ろしい力に逆らうことはできなかった。新たな所有者であるヴェネツィアの投資家Fabrizio Ferrariさえも。彼は大損失を被り倒産、また彼の妹Nicoletta(ヴェネツィアに住んでいた)は自身の車のそばで草むらのなかに裸で死んでいるのが見つかった。
その後屋敷は裕福なイタリアの化学の実業家であるRaul Gardiniが購入したが、かれは贈収賄の裁判に立て続けに巻き込まれ、拳銃によりこの世を去った(他殺と考えられている)。
悲惨な運命から逃れたのは、有名なテノール歌手のMario Del Monacoだ。彼は屋敷の引き渡し前に自動車事故に遭い、快復したが屋敷の購入を辞退した。

ヴェネツィアの屋敷はどれも少なからず古い怪奇ななエピソードをを持っているが、このCa' Darioのそれは単なる伝説の範疇を越えている。この屋敷にはたくさんの亡霊が住み続けており、その中にはこの屋敷で不幸に亡くなった哀れな所有者たちもいるのだろう。
(訳:Fiorinetta)

(参考)
ヴェネツィア芸術の隆盛と土地所有」 和栗 珠里 イタリア学会誌40  p.179-204, 258 (1990)

お久しぶりです。

バタバタしながらも留学準備を細々とやっている今日この頃です。
まだまだ準備不足、資金もちょっと足りない(というか円安のため目減りしてしまった)というなかで、今年行けたら良いなと思っていたけど1年伸ばさなきゃならないかも。

さて、留学して何をしたいかって、実は大学で社会学系の研究がしたいのです。。
イタリアはやれ経済が悪いとか治安が悪いとか日本人に言わせるとやや下に見た意見しか聞かれませんが、実はとても深くてキチンとした歴史を経た国です。
現代社会の基盤の多くがイタリア半島でつくられました。 ローマ帝国やルネサンスばかりではないのです。


さて、研究といえばやっぱり気になる、例の細胞のはなし。
自分は学部卒だしそもそも分野が違うからあまりとやかく言えないけど、根本的にはやはりあのひとに問題があると思う。
不勉強だからっていうコメントは、恥ずかしいなと思いました。それで多目に見てくれっていうのは、プロの言うことじゃないと思うのです。



あと、なんだかジェンダー論が話題ですのでひとこと。自分も男性中心の部署にいます。というかこれまで100%男だったところに放り込まれました。
田舎ですから、あんまり上昇志向の強い女はいません。支店内では、女性社員はみんな定時で帰ります。残ってる私はかわいそうって思われてるみたいです。私に言わせればあなたたちの方がかわいそうですよっと。
男性陣やお客さんにとっては、あんまり強く言えないし、気を使うようです。見てくれが女だからどうしようもないです。
経営は「女性の活用!」って声高に言ってますが、放り込んであとは放置って、なんか違うと思うなぁ…

私はかわいそうとか思われたくないし、差別されたくないし、同じようにやりたいけど、外から見たらそうはいかないんですね。

女って嫌な生き物です。
と思う今日この頃。。
こんばんは!
またちょっとお久しぶりです(汗)
期末がなんぼのもんじゃい!!

さて、今回も例の本からひとつ紹介したいと思います。
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いまどこまで読んだかって?
まだまだ先は長いでございます…

今回のは、私がとても心和んだお話です。
有名な人物が出てきます。

画家のティントレットです。

有名なのはヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの大評議会の間にある「天国」の絵ですよね。
世界一大きな油絵だそうです。
Fiorinetta、じつはパラッツォ・ドゥカーレには3回行きました。
3回も何しに行ってん。
いえいえ、3回目になっても新しい発見があって面白いのです。
パラッツォ・ドゥカーレに行くなら、シークレットツアー(Gli itinerari segreti)に参加するのがお勧めです。
英語とイタリア語しかやってませんが、通常チケットでは入れない、事務方の執務室(絢爛な公邸や議会とは違い、木張りで船の内装のような雰囲気。というのもパラッツォ・ドゥカーレは造船工によって建てられた宮殿なので、至る所に造船技術が取り入れられています)、旧牢獄(新牢獄は通常チケットで入れます。シークレットツアーでは宮殿内の牢獄に行きます。身分が高い人が入る部屋は、全面石造りの新牢獄等と違い、全面木張りで寒さを和らげる仕様になっています。最上階にはジャコモ・カザノーヴァが脱獄した際に入っていた独房も!)、尋問部屋(天井からロープが下がっていて、在りし日を彷彿とさせます)などを見て、最後は秘密の?通路から出てきます。とても楽しいです!!

さて、ティントレットの話に戻ります。

ティントレットは本名はヤコポ・ロブスティといいます。
実家は染物屋(tintore)だったので、ティントーレの息子ということでティントレットと呼ばれるようになったそうです。
大胆な構図が特徴的なインパクトの強い絵が多いですが、本人も結構豪快な性格だったとか。

今回の話は、若き日のティントレットとまだ幼い娘のマリエッタのちょっと微笑ましい話です。

では、以下わたくしの訳ですので、稚拙な点はあしからず、指摘があればどんどん仰ってください。

壁を抜けた魔女

マリエッタの最初の聖体拝領の時がやってきた。当時、洗礼を受けた子供は、10日間毎朝、マドンナ・デッロルト修道院の礼拝所へ聖体拝領をしに行くという習慣があった。
1日目の朝のことだった。修道院の庭を歩いていた時、マリエッタは一人の老婆にどこへ行くのかと尋ねられた。「聖体拝領に行きます」彼女は答えた。「聖母マリアのようになりたいかい」老婆は言った。「まあ、そんなの無理よ!」娘は答えた。すると老婆は言った。「いいや、不可能じゃない。私の言うとおりにしなさい。聖体拝領の時、パンの小片を口に含んだら、それをシャツの中に隠し、家に帰ってどこかにしまっておくんだ。10日経つ頃にまた来るよ。きっといいことが起こる」

数日間、マリエッタは老婆の言ったとおりにし、パンのかけらを誰にも見つからないように庭の一角に隠した。56日経った頃、庭の家畜たちが跪いて動かなくなってしまった。マリエッタは父に告白した。「パパ、お婆さんがいて、私を道で呼び止めたの。そして言ったわ、もし10日ぶんのパンを取っておいたら、マリア様のようになれるって」。ティントレットは仕事の関係でいくらかの魔術に関する知識があり、年老いた魔女が似たようなやり方で若者を誑かすと聞いたことがあった。ティントレットは誰にも話さないように念を押した。

ティントレットは、午後こっそり教会に入り、そうと気づかれないように、パンのかけらを祭壇の上に置いた。そして、大きなシナノキの棒を手に入れると家に帰った。
10日目の朝、画家は娘に指示を出した。帰ったら窓の下で待っていて、老婆に見つかったら、家に入らせるように。老婆はやってきた。マリエッタは父の言いつけ通り家に入らせた。2階の居間の入口の前で待ち構えていたティントレットは大きな棍棒で老婆を襲った。攻撃が当たると、老婆はすばやく猫に変身し、その姿で狂ったように壁や家具やカーテンの上を駆け回った。最後は、我を失ったように人間離れした叫び声をあげると、黒い雲に渦巻かれながら壁に向かってとびかかり、壁を突き破って外へ逃げた。

その後、ティントレットは魔女がもう家に入ってこないよう、家の外壁に魔除けとして、棍棒を持ったヘラクレスのレリーフを埋め込んだ。それは今でも見ることができる。

(訳:Fiorinetta)
こんばんは。
ちょっと、いや結構お久しぶりです。

オリンピック見たいけど眠くて見れなくて悲しいです

さて、今日はガイドブックにはあんまり載ってない、有名だけどなんか地味、実は世界遺産な私の好きな街、ジェノヴァについて。
あまり知られていませんが、金利の指標となる長期金利について、ジェノヴァ共和国が1619年に出した1.125%というのは、なんと日本が90年代後半に更新するまで370年以上続いた世界最低記録だったそうです。もちろん算出方法が違うので何とも言えませんが…

(撮影:Fiorinetta)
De Ferrari広場。現代ジェノヴァの中心地です。

(撮影:Fiorinetta)
丘の上からは旧市街全体が見渡せます。
近代的な港湾設備が意外と旧市街の景色の中にも融合しています。

地味なりにも(そこは否定しない)とても興味深い、魅力的な街です。
日本でいうと神戸によく似ています。

ジェノヴァはローマ時代はただの拠点間を結ぶ通過点でしかなかったようで、様々な国の支配下に入ったり、ムスリムの攻撃を受けたりしていたようですが、やがて共同体として勢力をもつようになったそうです。

ジェノヴァは歴史的に個人主義的な色が強いといわれます。
ずっとライバルだったヴェネツィアは類まれな組織力で活動していたのに対し、ジェノヴァはもっぱら家族単位での活動が主流で、まとまりがなかったとか。そのため統治機構が非常に弱く、しばしば政争に明け暮れては統治権を外国人に投げてしまったり(外国人統治の承認を市民集会で行うという謎の民主性はあり)、国としての実体はとてもモヤっとしていました。

彼らが団結するのはヴェネツィアとの戦争の時だけだったようですねえ…。

ジェノヴァ人たちが特に優れていたのは航海技術と商業・金融にかかる経営のスキルです。
航海技術については、コロンブスを輩出したことからも明らかです。しかし、経営についてはそれを記した文書をほとんど残していないことから、謎に包まれています。なぜかって、家同士がみんなライバルだから、企業機密を知られないために書いては残さなかったようです。
これが「ジェノヴァ人はドケチ」といわれる所以では…

さて、ジェノヴァは近世初期にはスペインの勢力下に入りますが、スペイン王家に多額の融資をしていたため、立場的には債権者のジェノヴァのほうが支配的だったのでは。担保として土地どころか徴税権を取ったりして、スペインの民衆からは悪徳高利貸しのように言われていたとかいないとか。
挙句にはジェノヴァ支配下のコルシカ島での山賊の反乱に手を焼いていた時、スペイン陸軍を派遣させて平定したとか…

そんなジェノヴァ人たちの創意工夫の数々は本当にアメイジングです。
いろいろあって一度には書ききれないので、今後もここで語っていきたいと思います。

では、また!

(参考)
「ジェノヴァとリヴィエラ海岸 イタリアン・リゾート至福の旅」(旅名人ブックス52) 時田慎也/AMIY MORI、日経BP企画
「イタリアの中世都市」(世界史リブレット106) 亀長洋子、山川出版社
「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年-」 塩野七生、新潮社
こんばんは!
さて、今回はイタリアで買って今読んでいる本について書きます。
その名も「ヴェネツィアの伝説と怪談」です!

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この不気味な表紙に一目ぼれしたわけです笑
語学の勉強に、がんばるぞ!…と意気込むも、なかなか時間がなく進まない。。
やっとこさ半分まで来ました。

中身はすっごく面白いです!!

全部書きたいくらいですが、さすがに色々あれかと思うので、ちょっとずつピックアップしてここで紹介したいと思ってます。
以下、わたくしの翻訳になりますので、不自然な訳にお気付きでしたら教えてください。

では、ひとつ書いてみます。
Scuola Grande di San Marcoにまつわる話です。

ヴェネツィアにはScuola Grandeという組織があり、それぞれ集会所を持っていました。
うーん、ギルドに近いものかな?よく「信徒会」と訳されています。そして集会所は「信徒会館」。

有名なのはドルソドゥーロ地区のScuola Grande di San Roccoですね。ティントレットの作品を多数所蔵していることから、もはやティントレット美術館といっても過言ではない!私も行ってきました。
Scuola Grande di San Marco
は病院となっており、中に入ることはできないですが、外観はとてもきれいで、一見の価値ありです。

観光地であれど、ヴェネツィアは地方の有力都市でもあり、観光と市民生活は意外と明確に区分けされていて、よそ者は踏み込ませないような空気もあります。だからたまに「ヴェネツィア人は冷たい」とか「閉鎖的」と言われますよね。
また、イタリアの代表的な都市として紹介されることが多いですが、歴史的にはイタリアと割と距離をとってきた都市ですし、日本風に言うと「外様」?。
とにかくほかのイタリア都市とはちょっと違っています。

前置きが長くなりましたが、以下引用です。

物乞いとレヴァント人

 Cesco Pizzigani
は当代で最も熟練した石工の一人であった。彼はサン・マルコ信徒会館のファサードの装飾に携わった。数年後、妻のFiorindaが重病に罹ってしまった。彼は妻を救うためにあらゆる手を尽くし、工房さえも手放した。しかしそれも無に帰し、妻を失った絶望から意欲を失ったCescoはサン・マルコ信徒会館の扉の前で物乞いをするようになった。時々、釘を使って、信徒会館の入口の側面に、広場の目の前で荷物を積み下ろしする船の姿を刻んでいた。
 
 
同じころ、その近くにレヴァント人との間の息子をもつ女が住んでいた。トルコの領下で成長した息子は、交易商人として居住権を認められ、父親とジュデッカ島に住んでいた。母親の元にもよく通ったが、混血であるためどちら側にも相容れないことがストレスで、彼はしばしば母親に暴力をふるった。女は、息子からの暴行によく耐えたが、状況は悪くなる一方だった。ある夜、息子はついに母親を刺し、心臓を抉り取ってしまった。彼は自分のしたことが恐ろしくなり、ナイフを捨てて逃げ出した。しかし手には母親の心臓を握ったままだった。
 サン・マルコ
信徒会館前の橋まで来ると、彼は段差で転び、心臓を落としてしまった。すると、地面に転げ落ちた心臓から声がきこえた。
「息子よ、怪我はない?」
彼は理性を失い、水中に身を投げた。
冬の寒い夜には今でも、温かさを求めて彼の母親の心臓を探す、彼のうめき声が聞こえることがあるという。

 Cesco
はといえば、その夜も信徒会館の門前にいて、その現場を目撃した。彼はそれを後に残すべく、いつものように石壁に彫り込んだ。
今日でも、信徒会館の入口で、船の絵と並んで、頭にターバンを巻き、手には母親の心臓を持った男の姿が刻まれているのを見ることができる。

(訳:Fiorinetta)