「ほら、私、前向いて歩いていたいんだよね。」
都内某所オシャカフェにて1年ぶりに顔を合わせた友人がパンケーキを頬張りながらそう言った。
学生の時から私は彼女のこういうところが好きなのである。
もちろん、大股でざくざく歩く姿も見ていて気持ちがいいし。
美術館で人が観てるのに合わせず自分のペースでどんどん進んでいくのも推せる。
気持ちいいくらいに食べるところも最高だ。(ちなみにこの時のパンケーキは昼食プレートを食べた後のパンケーキ。)
とはいえ、やっぱり、こういうところが惹かれる所以で。
前に前に進もうとするその快活さに救われるし、かっこいい、と率直に思う。
隣にいて、すげーなぁ、私も頑張んなきゃなぁー、と思い続けてきた。
思い続けては、きた。
・・・
片や、私ぁハイパー後ろ向き人間でして。
【ちょこっとだけ綺麗な思い出】と【あー、、、思い出したくない恥ずかしい記憶】をほじくり返し、
それを延々煮詰めたものをおかずに今までなんとか生きながらえてきた。
私の後ろに連なった過去の遺物で何杯でもご飯食べれちゃう系人間。
だから、人生のうちでやる気スイッチ入った記憶なんて本当に、ない。
だって、冬は寒くて布団から出られないし。
春は花粉で何も手につかない。
夏?言語道断。
秋なんて何かやろうと考えているうちに終わりますからね、へへ。。。
で、1年経って、年の暮れになって「あれ?今年もなんもやってねぇな?私?」と気がつく。
未来なんて考えられない。思い立っても持続しない。
できればずっと横になっていたい。
這いつくばっていたい。
あー、穴にこもって暮らしたい。。。
・・・
ただ、そんな私でも、ひとり暮らしのこの部屋に閉じこもっているとやはりちょっとだけ不安になってきたりもする。
窓のシャッターを締め切ったまま1日を過ごしてみると、今が何どきなのかわからなくなってくる。
SNSはもうみんな更新しなくなったのかどれだけ読み込んでも新しい情報が降ってくることはない。
「おれ、タイムリープしてね…?」
それでは、とテレビをつけても延々と同じニュースの繰り返し。
森見登美彦の『四畳半神話体系』に倣い、電灯の吊り下げ紐にぬいぐるみ(ウサギ)を吊るしてみたせいで、いよいよ悠久の時に閉じ込められた気がしてくる。
これはアカンと、近所の無印で時計を買って壁がけしたものの、どうやらそういうことではないらしい。
さすがシンプル・イズ・ザ・ベスト無印。正確に時を刻んで一周して戻ってくるじゃねぇか!
・・・
あぁ、そうか。
私は前に進んでいないことが不安なのだ。
ぐるっと周回するのではなく、ちょっと前に進みたいのである。
一歩くらいは踏み出したいのである。
とはいえやる気スイッチゼロ人間。
横になりながら、気がついたらなんか自動で前にちょっと進んでいたりしないものかと考えるうちに日が暮れる。
日が、暮れた。。。
・・・
天井から吊られたウサギの頭部を引き、ついた豆電球。仄暗い部屋の中。
お布団にくるまり悶々と、私。
ちょっと踏ん張って立っても、持続しないんだもの。横になっていたいんだもの。
とはいえ、立って自分の足で歩いた方がそれはそれで気持ちいいんだ、というのもわかる。
まあ無理せずできるとこからやったらいい。
歩けなくなったら停まればいいし、立てなくなったら横になればいい。
恥ずかしくなったらこもる穴を探しに行きましょうぞ。
後ろ向きの性格は治んないわよ、と開き直り、今日から後ろ向きでちょっと歩いてみようかと思った次第。