この世には、出会いがあり別れがある。

いつまでも一緒に居たい人もいれば、二度と会いたくない人もいる。

喜怒哀楽を持つ人間にとって大事なのは、一番は楽しく過ごせること。

それにはルールがある。

愛し合い、許し合い、共に共有出来る世界があること。楽しく笑顔で過ごす為に、役に立てること、必要に思われることは大事。誰も傷つけないルールもまたある。

生きて行く限り、出会いがあり別れがある。その人生の最初の出会いは親と子。

産まれた子供から見たら、母親。

その母親と上手く関係が築けたらいい。

もちろん、父親とも。

その母親と父親がどんな出会いだったがまた、子供に大きな影響を残す。

人生には絶対を望みながらも、現実には相対的に過ごす。永遠を願っても、限りある時間と空間がある。

悲惨な現実があっても、絶対的な幸せを願い生き続ける。

その理想が崩れる現実がある時、人には哀しみが訪れる。

なぜこうなったのか、なぜ別れが来たのか?なぜ出会いがあったのかと考える。

原因は相手の事ばかりではない。自分自身にも原因がある。

この世には愛し合いたくても、愛せない事もある。愛を受けていても、愛されては居ないと思う事すらある。

一方で、愛の放射線と磁力で、人は引き合う。いろんな愛の形がある。

許される関係…許されない関係…。その基準すら明確ではない。国や民族、風習、宗教でも違う。

私が大事に思うのは、親と子で育まれて、育って行く人格や性格。私が離婚から復縁に辿りついたのは、やはり子供の存在があるからだった。自分が受けた痛みや傷を思い返した時に、私の父親と母親はどうあるべきだったのかを考えた時、自分が取るべき行動を決めた。

現実は甘くはないけれど…。

そして、行き着いた答えは、「男と女の出会いで人生は続く。」その男と女の出会いと別れの物語が後世に伝わる。

愛し合い添い遂げたのか?仮面関係だったのか?事件事故災害による別れだったのか?

意思疎通や、互いの価値観に歪みがあったのか?

別れが来た時に深い哀しみの中で考える。

なぜ出会いがあったのか?

僕は、思う。

人は完全ではない。罪を犯す人もいる。

出会いで出来る人間関係の縁をどうするかは、海に浮かぶ小舟の様に、万全とは言えない。お金も必要になる。

様々な苦難を乗り越える我々人間。

出会いがあって別れがあって、喜怒哀楽がある我々人間に、何が出来よう。

完璧に。

間違いない人間関係が作れるのか?

人は責めてはならない。責めたくもない。ただ哀しい時には、慰めたくなる。怒りがくる時は怒りをおさめたくなる。

現実には寄り添う事は出来ないけれど…。

魂は消える事はない。人は忘れたとしても、自分が記憶を無くしたとしても、鎮魂と安らぎを願い続けた人々がいる限り…世界は続く。

これからも人間は、不完全であっても、叩きのめされても…。

出会いの中に願って生き続ける。私は、不完全で出来ない事もあるけれど…。

幸せを願い生き続ける。

笑顔の親子。笑顔の男女。笑顔の兄弟姉妹。笑顔の友人関係。笑顔の社会。

この世の花が笑顔になる事を願って、葉っぱの私は生き続ける。

それがファインリーブス。

太陽があるから…空気があるから、水があるから。生き続ける。

出会いと別れがある人生に…。

哀しみがなくなります様に。

ゆっくり語り合う世界に…なります様に。

あなたが苦しみ哀しみ無く、生きていける様に。

想いを綴ります。


護られます様に………

光る心。

出会いと別れがあっても。闇に向かわないで下さい。


私は和が好きである。

これは私の祖父譲りである。

祖父は四十過ぎてすぐに妻を病気で亡くして、シングルファーザーとして大家族を養った。丁度三十年前に八十二歳で他界した。

厳しく子供を育て上げたと母親から聞いているけれど、孫に当たる私たちには優しいおじいちゃんだった。

私は争いごとは嫌う。おじいちゃん譲りかな…。

祖父が電力会社に勤めていた時に、集金人の業務をしていた頃の逸話を母から聞いている。

支払うお金がない家庭に集金に行くと、無理に取り立てはせずに、野菜や農作物を貰って帰って来た事もあるそうだ。

儲けを重要視する組織からは、離れた行動だったかもしれないが、私はそんな優しい祖父が大好きである。

祖父の姿として一番印象に残っているのは、毎朝早く起きては、お経を唱えていた姿である。

祖父は、「和」と書いた色紙を部屋に飾っていた。今となっては祖父と直接語り合う事は出来ないが、和は祖父の信条だったと母から聞いた事がある。

長男にも私は和の一字を加えた。

私は、芸術の中にある調和が好きである。生活にも調和を信条として来た。不平不満を口にする人は、私なりに耳を傾ける。愚痴を言わせない生き方をする人もいるけれど、ある意味それはパワハラを生む下地となる。

人は完璧ではない。補い合い、助け合う心は大事である。誤解やすれ違いにならない為に対話はある。結果主義、成果主義に一理はあっても完全ではない。むしろプロセスの方が重要だと考える。

和と言う言葉にあるものは、深いものがあるから語り尽くせないけれど…上から目線にはなりたくはない。

感謝と思い遣りを加えて、和と言う言葉にある大切な人間関係を尊重して生きたい。

これからも、それは変わらない。厩戸皇子が好む「和を持って尊し…。」

家庭も、社会も、国家も、世界も、個性を尊重する和の世界となる事を願っている。

これからも出会いを大切にしたい。連絡を取れない人も取らない人もいるけれど、私がまた私固めをする時なのでご容赦戴きたい。

自分自身が出来る事をしっかりしたいので、今一度「根をはる」ファインリーブス。

未来社会が和に溢れる世界になる事をしっかり願って行く。

調和の世界。

哀しみ苦しみが癒される世界を…。







チラシ作りを始めて、原本が出来た。

嫁(社長)の気合いに押され気味(笑)

これからは未知数。福岡県久留米市では十七年間、美術教室・学習塾・家庭教師をやって来た。

生徒たちの笑顔があった。生徒たちにも、もちろん悩みも苦しみもあった。

最初の頃の生徒たちはどうなっているかな私が三十一歳から始めているから。今は五十二歳。ひょー

二十一年か~。丁度長男が産まれた頃から…長男も二十一歳だからなぁ~。


もう三十は超えて居るね。あの頃の生徒たちは…。結婚している人もいるだろうし、独り暮らしの人もいるだろう。


幸せかなぁ。

滋賀県でまた始める。今度は美術教室だけに絞ってね。

末の子がダウン症だから、障碍を持つ人達とも関わりたい。

息子もアート好き。音楽も美術も。時間があると歌を唄い、またあるときは絵を描いている。もっぱらポケモン。それをハサミで丁寧に切り取る。

根気がいるだろうが熱心に続ける姿には頭が下がる。

僕も小さな頃は良く描いたり、作ったりしていた。ご飯ダヨーと言う声も、消えてしまう程にね。

これからは、時が許す限り、いや時を見つけては創作も始めたい。

チラシ作りはもうちょい。後は名刺、表札、それに美術に使う道具や絵の具の準備に整理だね。急な退職だったからバタバタだよ。

空白は丁度六年間ある。さて、会社を辞めて次につける仕事を見つけ様とハローワークにも行ったけれど、行き着いたところは美術。

それを再開するに当たって、準備がいる…。

嫁が協力的だからこそ出来る仕事でもある…。その分、私も家事を協力する。いろんな事が重なっての決断。

この六年間にいろんな仕事に就き、いろんな事が見えて来た。

自分自身でさえ、驚くミスやトラブル。悪意とさえ誤解を受けてしまったが…原因は見えて来た。

もうちょい自分自身を見つめていかねばと思うけれど、未来を担う子供達に期待が大きい。その為に出来る事から始めたい。

経済面ではまだまだだけれど、生徒たちの笑顔にまた出会いを求めて行く。

久留米市から離れて、千葉に行く時、最後の絵画教室の生徒から、プレゼントをもらった。

奈良で産まれた姉妹。お父さんの転勤で久留米市に来ていた。

カラオケのシダックスでカルチャー教室を始めて、その時仲良く来てくれた姉妹。

手紙には「私たちの事を忘れないでね」とあった。

嬉しかったね。

また、いつか逢えたらいい。六年前だから今は高校生になっているかな。

これからも、また頑張っていくよ。

一つ一つ。ちょっとちょっとだね。

これはその時のプレゼント。☆今でも使ってますよ。


photo:01




iPhoneからの投稿

私に出来ること…アート。  FINE ARTS

美術だね。

会社は退職し、これからは自営業に再び戻る。

春に備えていろいろ準備を始める。

前の職場では、社長にもたくさんお世話になり、仕事と組織のあり方を教えて戴いた。

これからは、家事・子育てをしながら嫁を支え(家の社長・笑)、地域で美術に貢献できたらいいな…

さて、皆さん。

ファインリーブスの始動です。

これからもよろしくお願いします。

テーマは「調和と笑顔」・・・心温まる関係。

洗濯干しからデース(^O^)/




笑顔は大事にして来た。

たとえ誤解され、怒りを受けたとしても、わが身を振り返り、その原因を見つめる。

I do not see the world of the heart. I am spirited, and it is dark…. A human being decides which way you turn to.



iPhoneからの投稿