難病指定の間質性肺炎にかかったとわかったのが一昨年。
公共機関の健康診断で再検査を受けて下さいと言われ、日赤病院で詳しく診てもらったら、間質性肺炎の可能性が高いと診断結果が出ていた。
近くの公立病院に診てもらっていたが、去年の11月に悪化が進行しており、今年の1月に国の難病指定を受けた。
国からの補助はあるものの、この病気に関しては完治と言うものはない。
今年の2月からは移動の度に酸素血中濃度が著しく低下すので酸素吸入器を使い始めた。
この時に主治医から言われた事が
余命一年の宣告。急性憎悪の可能性もあるので半年以内かもしれないと言う事だった。
ショックはあまりなかった。来る時が来たかと言う感じ…だ。ただ周りに迷惑をかけるのが申し訳なかった。
確かに間質性肺炎とは難病ではある。酸素血中濃度は直ぐに下がるし、着替えをするだけで呼吸が苦しくなる。また、咳や痰は続き、居心地はいいものではない。
そんな姿を見る家族にも負担をかけている。
私の死に対する考え方は、肯定的である。ただ生老病死の四苦八苦の世界では、必ず誰かに負担をかけてしまう。それが申し訳ない。また家族をはじめ、支援をしていただく方には本当に感謝している。
そんな中で決意をせざるを得なかったのが、美術教室の縮小。6月からは新しい生徒さんは受け入れをせずに、今ある生徒さんに至っても半数以上の方にお断りをせざるを得ない状況になった。
生徒数は12名の方がいらっしゃるのですが、そのうちの8名のかたとは早めに申し訳ないのだか、今月までとなった。
中には先生良くなるんでしょうと言ってくださる生徒さんもいる。保護者の皆さんにも身体を労わって下さるという、本当にありがたい言葉を受けている。感謝に絶えない。
これからどこまで行くのかはまだまだ分からないけれど、美術教室を完全に無くす事は出来なかった。あとはこの世を去る時が美術教室の終わりと考えている。
体調管理と薬💊を飲んでいきながら、余命を生き抜きたい。
今月最後の生徒さんたちとは明るくお別れとなる。出逢えて嬉しかったよ。良く頑張ってきたよ。また会おうね。と…
私がこの世を去ったとしても、ファインアートはなくなりません。
それぞれの個性溢れる世界につながるように祈っております。
もう少しがんばるね。