黒澤明監督の生きるを観た。

その後最近リメイク版も映画館で観た。


公務員で死んでいるかの様なあだ名がついた主人公。


余命宣告を感じ取り、一度は絶望の淵に陥される。


だが前向きに明るく生きる人に触れ合い、生き方を変えていく。


人の為になる事、人々が喜ぶ事。困り事を解決しようと、困難にも立ち向かう。


クライマックスで、公園のブランコに乗って唄を歌う。


人の一生は様々である。


この映画で得たものは、生きるというテーマでこれからの世界が幸せを願って、みんなで作り上げていく生き方。ひとりひとり何かを成して欲しい。自分らしく、困難を越えて。



私の病気も進行している。もう続けては歩けない。外出は車椅子。


余命はどのくらいだろう。いろいろあるから少しずつ出来る事はしよう。家族の助けがあって生きている。感謝しつつ最期を迎えたい。


ブログもこれで終わりにします。


あの世があるならば、またいつか語り合いましょう。日々を生き抜いてこられた皆さんの幸せを願っております。


ありがとうございました。P(oyo)〜n



難病指定の間質性肺炎にかかったとわかったのが一昨年。


公共機関の健康診断で再検査を受けて下さいと言われ、日赤病院で詳しく診てもらったら、間質性肺炎の可能性が高いと診断結果が出ていた。


近くの公立病院に診てもらっていたが、去年の11月に悪化が進行しており、今年の1月に国の難病指定を受けた。


国からの補助はあるものの、この病気に関しては完治と言うものはない。


今年の2月からは移動の度に酸素血中濃度が著しく低下すので酸素吸入器を使い始めた。


この時に主治医から言われた事が


余命一年の宣告。急性憎悪の可能性もあるので半年以内かもしれないと言う事だった。



ショックはあまりなかった。来る時が来たかと言う感じ…だ。ただ周りに迷惑をかけるのが申し訳なかった。


確かに間質性肺炎とは難病ではある。酸素血中濃度は直ぐに下がるし、着替えをするだけで呼吸が苦しくなる。また、咳や痰は続き、居心地はいいものではない。


そんな姿を見る家族にも負担をかけている。


私の死に対する考え方は、肯定的である。ただ生老病死の四苦八苦の世界では、必ず誰かに負担をかけてしまう。それが申し訳ない。また家族をはじめ、支援をしていただく方には本当に感謝している。


そんな中で決意をせざるを得なかったのが、美術教室の縮小。6月からは新しい生徒さんは受け入れをせずに、今ある生徒さんに至っても半数以上の方にお断りをせざるを得ない状況になった。


生徒数は12名の方がいらっしゃるのですが、そのうちの8名のかたとは早めに申し訳ないのだか、今月までとなった。


中には先生良くなるんでしょうと言ってくださる生徒さんもいる。保護者の皆さんにも身体を労わって下さるという、本当にありがたい言葉を受けている。感謝に絶えない。


これからどこまで行くのかはまだまだ分からないけれど、美術教室を完全に無くす事は出来なかった。あとはこの世を去る時が美術教室の終わりと考えている。


体調管理と薬💊を飲んでいきながら、余命を生き抜きたい。


今月最後の生徒さんたちとは明るくお別れとなる。出逢えて嬉しかったよ。良く頑張ってきたよ。また会おうね。と…


私がこの世を去ったとしても、ファインアートはなくなりません。


それぞれの個性溢れる世界につながるように祈っております。


もう少しがんばるね。



神社に奉納する干支の絵が完成。

来年はみずのえとら

やはり虎の絵は難しい。ちょっと時間がかかりました。

奉納式は来週の月曜日。彦根市の北野神社の入り口に飾られます。

コロナ禍に負けずに来年も頑張ります。

頑張り過ぎないように眠りの子虎を描きました。


バイクを借りて五日間であちこち巡り、

用事を済ませる事が出来た。バイクは本当に助かった。


母親は認知度が上がってはいたけれど、元気でケアハウスで過ごしていた。

面会出来るのは1日15分。帰省して三回面会できた。

ひ孫と少し話せた。ひ孫は一歳三ヶ月…始めてテレビ電話で話せた。

ひ孫はキョトン。

実際に逢えたらいいけれどね。


今回も大活躍したのがこのレンタルバイク。


弟の納骨も出来た。

別れた父親かたの納骨堂も退会し遺骨を移動出来た。

お寺廻りもでき住職さんの祈り念仏と共に供養できた。

父方の遺産の中に田んぼがある。その名義が兄と弟の死去に伴い、子供に相続される。

ともに別れて二十数年経っている。

元妻になる方々には連絡もしていない。現住所を知るには戸籍をたどるしかない。

今回は久留米市と鳥栖市と朝倉市の市役所廻りをした。

書類代理人委任状を準備して窓口にて込み入った話しをさせていただいた。

役所の人たちは皆さん優しく対応していただいた。

中にはごっそり書類を忘れたけれど、直ぐに知らせていただき、事なきを得た事もあった。難しい流れはあったものの、兄と弟の子供達の現住所はわかった。

連絡は来年にかけて、これから。

手続きの進捗のために親族にあいにも行けた。



この五日間

バイクを自転車屋さんに戻した時には420キロ越えていた。

あちこちぐるぐるしてたからなぁ。バイクがなければ出来なかった。

肺の病気で長く歩く事も階段も難しいからね。車の免許は持ってませんから。

バイクのレンタルがあって本当に助かった。

またいつかやって来る時もバイクを借りるだろう。


人生って波乱があるけれど導かれることも多い。事故なく過ごせて本当によかった。見えない導きがあったと思っている。

感謝に尽きない。


コロナが少しばかり収まっている中をかいくぐり


故郷に足を運んだ。


母親に会い


弟の遺骨を預かった。木曜日にお寺の納骨堂へ行く予定。


今日はホテルで遺灰と過ごす。


人が亡くなることのあと、残された人たちはどうあるべきか…。


難しい。




父親の遺骨も納骨堂に収めてあるものも引き払う。


久留米で生まれて…父親の親族が供養をしておられた。


四人の遺灰が収められていた。また私の祖母と父親は別なお寺で永代供養していただいている。


納骨は別なお寺。


生まれた土地には祖父が残していた土地がある。


それも相続する中でいろんな事態を生んでいた。


兄と弟が亡くなったため、それぞれの子に相続が移される。


難しい問題をはらんでいる。




解決はいっぺんには出来ない。


でもやるしかない。



市役所巡りがまた始まる。




今生きている人のために、自分ができる事をする。


昨日は息子の誕生日だったけれど、一緒にお祝いは出来なかった。でも次の日曜日には会えるから。


滋賀に帰ったらまたまたやるべき事が待っている。そのため、学んでいこうと思う。



亡くなった人たちは無言の存在。それを踏まえた上で弔いの声をかけて、今生きている人の為に、学んで…出来ないことを重ねていこうと思う。


みんな幸せを願っているから。