森に入ってすぐの所に一見すると倉庫のような小屋がある。その壁面は所々剥げ落ち脆くなっていてあちこちからイグサを覗かせ、少し押すだけで倒壊してしまいそうな程頼りない姿で建っていた。
そんな廃屋の傍に何段にも積まれた薪があった。奥には廃棄レンガを積み上げただけの小さな釜戸も見える。釜戸の右側に黒ずんだ灰の塚が作られていた。小屋の中からは声や物音は聞こえないがここには確かな生活感がある。人はこんな廃屋でも最低限の生活ができるのかと、男は嬉しく思い興味深くそれらを眺めていた。
男の首に一眼レフカメラが提げられていた。





街から自宅までは割と時間が掛かる。徒歩だから余計に。かといって早くは帰らせて貰えない。そんな事を言えばクビが飛ぶ。金は必要だ。今の俺にはロウソクと紙を買う金がいる。食うもの、着るものを削ってもそれだけはどうしても削れない。それを取り上げられては俺はきっとオカシクなるだろう。

今晩の為にめぼしい道草を摘みながら丘を登る。少し息が上がる。街からはもう相当来ただろう。歩く程に家々が少なくなり、頼る灯りもほとんどなくなった。

突然。通り過ぎた家の扉が、何の前触れもなく勢い良く開かれた。何事かと振り返るほどには大きな音がした。きっと近所の人もびっくりしているだろう。飛び出てきたのは若い女の子だった。心なしか肩で息をしているように見える。女の子はツカツカと俺の傍に寄ってきて両手で何かを差し出した。

「え?」

困惑して見返しても彼女と目が合うことはなかった。俯きながら腕を突き出している。

「こっ、これ!良かったら食べて!」

そう言われて手元を見るとスイカでも入っているのかと思うくらい膨れたクロースがあった。可愛らしい花柄イラストをあしらった白地の布は清潔な印象だ。中身はもしかして食べ物?もしそうならこれ以上の幸せな恵みはない。
対照的に草を夕飯にしようとしている自分が恥ずかしくなって彼女に見つからないように、野草を持つ左手を後ろに隠した。

「これって・・・」
「パンとスープと果物っ!」
「あの・・・俺に?」

問うと彼女はやっと顔を上げて、ゆっくり頷いた。

「でも俺、礼をできる余裕がないんだ 悪いけど貰えないよ」
「いいの!作りすぎちゃっただけだから!」

彼女は俺が受け取るまで引き下がらないらしかった。お願い、とまで言われたなら男は黙って受け取るしかないと思った。

「ありがとう 嬉しいよ」

素直に礼を言うと彼女は花のように笑顔を咲かせた。



森まではまだもう少し掛かる。辺りはすっかり真っ暗闇で虫の音しか聞こえない。

真っ暗なはずなのに景色が見えるのは不思議だ。街の灯りがここまで届いているんだろうか。それともこの心に小さく灯った炎のせいなのかもしれない。きっとそうに違いない。なんだか空気が澄んで星空も一段と美しく見えた。

家に戻ってカンテラに火を点け、クロースを開けてみると手作りのブール、オレンジとリンゴが一つずつ、容器に入った野菜をふんだんに使ったトマトスープ、冷えたビールまで入っていた。きっと俺の為に用意してくれていたんだろう。数年振りの豪華な食事とあの子の温かさを感じて涙が流れた。

一頻(ひとしき)り平らげ満腹になった頃、深夜にも関わらず扉をノックされた。この家にベルなんてものはついていないから当然なのだけれど、街から随分離れているこんな辺鄙な所に、しかも夜も耽っているのに訪ねてくる人は滅多にいないから不審に思った。蝋燭を持ち、少し警戒しつつ扉を開けると青年が突っ立っていた。青年は帽子を取って会釈をした。人の良さそうな顔で笑う、所謂爽やか好青年と言うのだろう。

「何か?」
「やっぱりここ家なんだ」
「はあ」
「昼に見に来たんだけど誰もいなさそうだったからさ」

まるで“こんな廃屋に住んでる変わり者を見物しに来た”とでも言う口振りに嫌悪感を抱く。

「何の用です?」

人付き合いは苦手だ。話題をどう面白可笑しく話せばいいのか自分にはわからない。どういう表情をしたら相手がどう思うのか考えながら話すのは億劫だ。一人ならばこんな風に苛立ちを隠しながら話すこともしないで済むのに。

「そんな顔すんなって!別に貶(けな)したりしないよ つうかその逆」
「逆?」

あのままもし、彼の話を聞かずに扉を閉めていたら。

「うん、すげぇって思ったんだよ」
「何を」

もし今ここで聞き返していなかったら、きっとそのまま平凡に生きられた。

「その洗練された生活を、さ」

彼との出会いは唐突で不自然で奇妙なのに、すっと受け入れられたのは彼女のお陰だ。浮かれ過ぎて、心に余裕が出来ていたから。そうだとしか説明が付かないんだ。

的外れな答えに“これのどこが洗練されているんだ”って噴出して数年振りに大笑いしたのも、彼女の笑顔のせい。



This story is to be continued...