最近、南米の事件簿を調べてみたら、サッカー選手が90年代のワールドカップ、アメリカ大会で自殺点をいれてファンにレストランで射殺された事件を思い出した

同様にミスをした人を責めるという行為が人間の癖のように、何千年も続いている

「失敗したけど、次に成功すればいい」
成功が前にきて、失敗があとにくるような人生もあったら、失敗が前にきたら成功があとにくる時間もあるのだ

未来を信じれない人間が自暴自棄になって罪をおかすのはおかしな話だ

「エデンが楽園ならば、なるほど、その西も楽園なのだろうな」
深い故人の言葉です
成功に失敗がつくならば、失敗は友達なのだろう
そして、失敗の友達は成功なのだろうねと、展開するといろいろに使える文体ですよね
座右の銘なのです

この前は、不景気で子会社社長をリストラしようとして、本社になぐりこみにいったとかいう社長が補導されたようですけど、言葉に「エデンの西もまた楽園なのか」というのが浮かぶのです
金でつなげたと思った楽園の末路ははかない
金の友達ってなんなんでしょうね?

ゲームをやるにしても、失敗は怖い
強くなるほど怖くなるなんてのは結局人生敗北だなと、プレイを見直しているのです
真実、失敗を友達とできた人は豊かな人生を送っている

失敗について悩む人に限って実は、単に助けにくる友達がいないとかだったりするですよね

自分も連携についてもっと考える努力をしようと思うのです