今日は、
とっても恥ずかしいのですが、
数年前の日記のようなメモのような殴り書きの文章を見つけたのでここに公開します。
当時大学4年生で、就職活動をしていたころ。
わたし、就職活動が大嫌いだったのですよ。
なぜ21、22にもなって、みんなで足並み揃えて同じことしなくちゃいけないの?
笑顔を張りつけて、たいして知りもしない企業に媚を売って。
でもそうしないと卒業後にお金を確実に稼ぐ手段がない。
アルバイトで生活できるならまだしも、奨学金の返済も待ち受けていたし。
というわけで、ゴールデンウィークも過ぎた5月半ばにようやく重い腰をあげ、企業へのエントリーを始めたわたし。
本が大好きだったので出版社に興味があったのですが、こんなに遅いスタートでうまくいくわけもなく。
読書はもちろん勉強も好きで好奇心旺盛な自分がなぜ採用されない~~。そもそも中学生の頃から必死に勉強してこの大学に入ったのに、なぜ結局就活しか道がないんじゃーー!ウッウッ、、とグルグルしていたとき。
そもそも間違っていたのは社会だ、教育だ、という結論に至り、書いた文章と思われます。
それではどうぞ。
なぜ本が読まれなくなっているのか?
それは今の日本のシステムのせいだと思う。
「受験→受験→就職」へと急がせる。
んで、結婚して子ども産んだら家を買わせ、
車を買わせ、子どもにも同じ線路を歩ませて。
消費させるシステム。金をつぎ込ませるシステム。
わたし自身も中高は本を読んでる時間、たいしてなかった。
申し訳程度に朝読タイムというのがあったけど。
ガリガリ勉強して、英語も暗記科目も数学も、全分野ほぼ得意だった。
テストや模試は半分以上学年一位だった。
でも、文学作品は全然わからなかった。
つまり、それらに頭をうんうんひねっていたことは
読解力を上げたり文脈を理解したり
言葉のあわいを感じとったりする肥やしには
全くなっていなかったんだ。
わたしが「文学っておもしろい!古典は
読み継がれる価値があるから古典なんだ!」
って実感できたのは、大学2年の終わりごろから。
そのころになってやっと、文学を読めるようになった。
20歳になってやっとだよ!遅!
でもわたしに限らず、日本人の精神・脳の成熟年齢が
どんどん上がっていっているのは確かだと思う。
そんなだから、教科書で文学作品なんて読ませられても、
つまんなーいと認識して、
「わたしの人生にはいらない」って判断しちゃうんだ。
だってそうでは?
受験勉強してたら幸福がやってくるって、教えられるんだもの。
ことばが荒っぽくて構成も非論理的で若干恥ずかしいですが、言いたいことはわかる。
今のわたしも同じように思うよ。
※ 「それらに頭をうんうんひねっていたことは、結局読解力を上げたり文脈を理解したり言葉のあわいを感じとったりする肥やしには全くなっていなかったんだ」の部分は、今はそうは思わないです!
先生たちの言うことを聞いて、ルールに従って、一生懸命勉強してたら幸せな将来が手に入るんじゃなかったっけ?という怒り。
幸せになるにはこの道しかないのか?そんなわけないだろ、という怒り。
でも親がお金持ちでもない自分には、今道を外れることに確信も持てず。
そのもろもろのモヤモヤを、今まで受けていた教育という名の洗脳にぶつけていた。
気持ちはわかるけどね。難しい問題だな~、、
わたしたちの世代は社会人一年目の年がちょうどコロナ元年だったので、とりあえず正社員として就職したことは良かったと今では思います。
でも、例えば海外に出てアルバイトでもなんでもやって死に物狂いで生活していたら、きっとその世界線のわたしもそこそこ幸せでそこそこ苦しいんだろうとも思う。
道はひとつじゃない。自分が選んだ道を自分で幸福にしていくしかない。人のせいにして環境を恨むこともできるけれど何も変わらない。悲しいね。
でも、悩んでいた過去のわたし含めて、今の自分がいる。自分だけはずーーっと、心強い味方だ。
生きている限りきっとずっと悩みはあるし、後悔もありますね。
「つまづいた石が、振り返るとダイヤモンドになっている」
河合隼雄さんのことばです。
最初から正しい道を歩むことなどできず、あとから振り返ってようやく答えがわかるのが人生なんだろう、と思います。
自分だけのダイヤモンドにしてやるぜ💎
それでは👋