「あと3年しかない・・・・)
じゃぁあと何年ほしいんだい?
「5年・・・・・5年あればなんとかなるんだ。」
そうか、しかしそれでは間に合あないのではないか?
「分かってる、だから、この3年間の内に5年分のことをしなければいけない。」
仗助は自問自答しながら暗がりを帰っていた。
果たして、17年間打ち込んでいた柔道が花開く時はくるのだろうか?
工藤 仗助は小学校入学時に柔道を始めた。それと同時に夢を持つようになった。
「世界一になりたい。」と、それは誰しもが一度は持つ思いだ。
しかし、残念ながら夢とは反対にそれほどの成績を残すことができなかった。良くて県大会出場だった。その県大会も個人戦ではなく団体戦での出場だ。
しかし仗助は決して折れることなく柔道を続けた。
それはひとえに幼馴染の恵子の存在があったからともいえる。
恵子は、小学2年生の時に仗助家の隣に引っ越してきた同じ年の女の子だった。
恵子とは柔道のない日などに、公園で遊んだりしてすぐに仲良くなった。
中学校に上がり思春期に入った彼らは少し距離が遠くなったように感じていた。
だが恵子は仗助のことを影でずっと応援していた。
ちなみに仗助は気づいていないが、仗助の出る試合は中学時代一回も欠かさず見に行っていた。
そして仗助は大した結果も残せずに高校生になった。恵子とは違う学校になった仗助だったが、「俺が高校総体で良い結果を出したら、真っ先に恵子に自慢するんだ。」と意気込んでいた。
その頃恵子は陸上に入部していた。元々運動神経の良い恵子はすぐに1年生時から短距離のエースとして活躍した。
そんな中仗助は「自分は弱い、しかし、なぜ弱いのか?どうすれば強くなるのか」を考えながら練習に打ち込んでいた。
そして、2人にとって高校最後の大会、高校総体が幕を開ける