「なんかカフェみたいでおしゃれに見えるし、いちいちお皿に盛りつけなくていいし」という安易な考えでスキレットパンを買ってみた。

私は料理中に鍋つかみをわざわざ使うのが面倒なので、長袖の服を着ている時にはいつも洋服のそで口をてのひらの部分までのばして「簡易鍋つかみ」として有効利用している。で、今回も同じようにしてスキレットパンの取手をつかんだ瞬間、手に激痛が!!

スキレットパンの取手は鉄製、しかも着ていた服は運が悪くフリース素材。
言うまでもなく、フリースはドロドロに溶けて手には火傷、焼いていたハンバーグは床に散乱。一瞬にしてキッチンが地獄絵図に。

面倒くさがりの私が子どもの頃から散々言われて来た「急がば回れ」という言葉が頭の中をぐるぐるまわる。

幸い火傷は軽くて済んだのだけど、今度からはちゃんと鍋つかみをつかおうと固く心に決めたのだった。





息子が学校で“学習発表会”の招待状を書いてきたのだが、その宛名を見ると「みゆきへ」と私の名前が書いてあった。(言っておくが、うちは決して親を「みゆき~」とファーストネームで呼ばせるほどフランクな家庭ではない)

そう言えばこの前授業参観に行った時に、教室の後ろに家族への感謝の気持ちを書いた紙が貼ってあって、他の子は「お母さんへ」とか「ママへ」とか書いているのにうちの息子は「じたくのかたへ」と書いてあった。(こっちは妙によそよそしい)

どうして素直に「お母さんへ」と書かないのか、謎である。


ここ数年、
「最近のベッキーは、“スクールカースト1軍の女子学生”や“権力のある男性上司に気に入られて調子に乗っているOL”と全く同じ『私は何をやっても許されるのよ』というオーラをまき散らしながらブルドーザーのように進んでいるなぁ」
と思いながらテレビを眺めていた。

そして、そういう女の人が何かをやらかした時に、無責任な男性がヘラヘラしながら
「あの子は“いい子”だから許してやってよ~」
と、わけのわからない理屈を言い、余計に火に油を注ぐ感じも実社会と同じだなぁと思う。

さらに言えば、そういう男性は、ことの重大さに気付いたとたんに、見て見ぬ振りの知らん顔をするということもどこかで見たことある光景だなぁと思う。






小1息子が「算数の問題がわからない」というので、わかりやすいように
「おまんじゅうを9個買って来てマサ(←息子)とお母さんで分けました。マサに6個あげたらお母さんの分は何個になる?」というと、息子、
「え~!僕、おまんじゅう6個も食べられないから2個くらいでいいよぉ~っ。お母さんにもっとあげるよ。あ、お父さんの分どうする?」
とか言い出し、全く問題に集中できない。

そして
「鉛筆が7本ありました。お母さんが8本買って来ました。合わせて何本になったでしょう」
という文章問題には
「もう7本もあるのに、どうしてこの子のお母さんは8本も買ってきたんだろうねぇ?安売りしていたのかなぁ?」
などと脱線しまくり、全く問題に集中できない。

息子の大好きな電車に例えてみたらいいかもと思ったら、逆効果で
「小さな駅のホームは18両編成の電車に対応しているのかな?」とか言いだし、しまいには「間もなく品川、品川に到着しま~す。京急線はお乗り換えで~す」と、延々と電車のアナウンスを始める始末。
もうどうしようもなく算数に向かない思考回路な息子なのだ。

と、いう私も、小学校の分数の計算を習った時に「半分のリンゴと半分のリンゴをたすとはリンゴ1個になる」と言うのがどうしても納得いかなくて
「半分のリンゴと半分のリンゴをたすと、半分のリンゴが二個になるだけだよね?どうして一度切ったリンゴが1個にもどることになるんだろう?」などとグルグルと考えて、まったく算数がわからなくなった。

なので息子の気持ちがよくわかるのだけど「あぁ、この子、この先ずっと算数で苦労するんだろうな~」と、自分の遺伝子を恨めしく思うのだ。



最近の私の頭の中は「薩摩剣士隼人」のことでいっぱいで、気付いたら「あぁ~、さつまけんし~、は~や~と~」と、隼人のテーマソングが頭の中をエンドレスで回っている。


「薩摩剣士隼人」とは鹿児島郷土愛に溢れるご当地ヒーローの隼人が、鹿児島を世界の笑い者にしてやろうと企むヤッセンボー軍団と戦うというストーリー。

一見よくある勧善懲悪なヒーローものに見えるのだけれど、隼人はひと味違う。

人を傷つけないように木刀で戦う隼人は、敵のヤッセンボー軍団と剣を交えている最中にも「おまんたちはそんなにチームワークがよかとに、それを生かさんのはもったいなかぞ!」とか「今のはほんにいい剣じゃ!」と、その存在を潰そうとするのではなくて認めて褒める、本当の強さと優しさにあふれるヒーローなのだ。

そして毎回出て来る鹿児島の精霊「ボッケモン」たちも見逃せない。
先週の放送で出て来た精霊は、鹿児島特産の果物たちが合体した「果樹新合体カジュカンサー」という精霊。

カジュカンサーは嫌がらせをしてきたヤッセンボーたちに対して、戦いを挑むのではなくて「たもいやんせ~」(※鹿児島弁で「召し上がれ」の意味)と柑橘類を配るのだ。
そして敵のヤッセンボーたちが「これはうんまか~」と戦意を喪失して問題解決という、なんとも平和なストーリーに心が癒される。

今のところ鹿児島と岐阜と東京MXで見られるらしいので、視聴可能な地域の方は一度ぜひぜひ観て欲しい。そして一緒に隼人について語りあいたい。


今年もまた我が家にハロウィンさんがやって来た。

ハロウィン用のかぼちゃの両面に“笑った顔”と“怒った顔”のシールを貼っただけのものなのだけど、うちの息子にとってのハロウィンさんは節分の鬼のような怖い存在なのだ。

ハロウィンさんは、ハロウィンのちょっと前から我が家の棚の上にやってきて、息子が悪いことをすると怒った顔になる。(私がこっそり回しているだけなのだけど)
そしてハロウィンが終わると、ご褒美のプレゼントを残してハロウィンの国に帰って行くという、由来不明の我が家独自のイベント。


息子が年少さんの頃からやっているのだけれど、毎年
「こんな子どもだまし、来年は通用しないよね~」と言いながらもう4年目。
まだまだ本気で怖がっている小学一年生。

そして今日もまたYouTubeの見過ぎでハロウィンさんに怒られる息子なのだ。





夫の実家に一週間ほど1人で泊まりに行っている息子。

昨日、息子から電話がかかって来て
「お母さん、僕のあさがおに毎日ちゃんと水やりしてくれてる?」
と言うので「ちゃんとやってるよ~」と言うと、今度は「俺の相棒のキックボードさんに毎日ちゃんと話しかけてくれてる?」と当然のように聞いて来た。(はい出たよ、息子の独りよがりな思考回路。なんだそれ?)と、内心思いながら「それはやってないけど」と言うと「もうっ!!“調子どう?”とか“今日もかっとばそうぜ”とか何でもいいから毎日話しかけておいてよっ!」と言って電話を切られた。

「チッ。話しかけるわけないやんっ!」と思いながらも、キックボードが目に入るたびにちょっとだけドキッとしてしまう。


なんだかんだでもう8月も半ば。

先日、去年まで普通に着ていたTシャツを着ようとしたら、何とも言えない違和感が。
頭の中で自動的に「♪お気に入りだった服が前のように似合わない~」というマッキーの歌の歌詞がエンドレスに流れる。

もともとあまりTシャツが似合うタイプではないのだけれど、それとは別の「なんか違う」感。
あぁ、これが加齢というものなのだなぁ。

「質の良いものを長く着る」とよく聞くけれど、やっぱり微妙に時代も自分も変化して行くから、そんなに長く同じ物は着れないよな~と思う。



雨の日に傘を持たせても、絶対にずぶ濡れになって帰ってくる息子に理由を聞くと、当然のように
「だって、傘なんかさしたら電車っぽくないだろ?』と言われた。

「電車っぽくない?電車っぽくない?電車っぽくない。。。?なんだそれ?」と悩んでいる私に
「だから、電車は傘じゃなくてワイパーなんだよ」と言う息子。

いつもながら、変化球すぎる答えに「へぇ、そうなんだ」としか言えない。。。



マタハラ問題がニュースで取り上げられるたびに、同じ女性の側から「わがまま」だとか「迷惑だ」とかいう意見が出るのには心底がっかりする。

主に既婚女性が利用している某巨大女性サイトでも
「会社や同僚の迷惑になると思ったので、妊娠した時点で私は自主的に会社を辞めましたけどっ(ドヤッ)」という意見に多くの賛同が寄せられていた。

私はフリーランスだからそういう制度は関係ないのだけれど、一緒に仕事をしたことのある優秀な女性たちが結婚出産で次々と辞めて行く姿を見ると本当にもったいないなと感じる。

ベビーカー論争でも「我慢しろ」「わがままだ」と非難するのは意外と子育て経験のある女性の方が多い。

「私はそうしたのだから、あなたもそうできるでしょ?」「私は我慢したのに、何であなたはそんな権利を主張してわがまま言っているの?」という感じだ。
女性同士で足を引っ張ってどうするんだと思う。

いくら法律や制度が整っても、人の意識が変わらない限り何の意味もないのだなと思う。