連休中、料理を夫がしてくれたおかげでだいぶ休めた。
連休前に実家にも帰っていたしね。
仕事は、やっと吹っ切れたかな。
前の職場の同期と話をして、亡くなった子や急変した子の話を聞いて、辛かったことをたくさん思い出した。
私が仕事を頑張ってたのは、楽しかった、やりがいがあった、だけじゃなくて、一生懸命に生きていて治療を頑張っている患者さんに対して凄く責任のある仕事だったから、と思い出した。
楽しかったこと、良かったことばかり思い出すけど、そうじゃなかったよね。
辛いこと、苦しいこともたくさんあった。
前の職場で妊娠を理由に無断欠席とか遅刻とかしまくってた後輩がさ、患者さんに対して、責任もなにもない、無責任な行動をしてた後輩がさ、職場にお菓子持ってきたんだって。
あれだけの事をしておきながら、育休明けに時短勤務でここに戻ってくるつもり?!って、同期怒ってた。
夜間急変した患者さんに対して、「もうほんとに私、大変でした!いいかげんにしてほしい!」
と、彼女が言ったことは忘れない。
それに対して周りの同僚がなにも言わなかったことも。
「患者さんは急変する前に何か変わったことがあったはずなんじゃない」
って私が言ったら、箸を叩きつけて休憩室出て行ったよね。
私は、「一番苦しかった、大変だったのは患者さんでしょう」
と、さらに言えなかったことを後悔した。
叱る気にもならない後輩だった。
感じたのは怒りだけ。
でも、それを叱らなかったのは先輩看護師として患者さんへの責任を放棄してたよね。
それをみんなが叱らなかった。
その時点でもう、私は前の職場のスタッフを信頼できてなかった。
可哀想な人だったな、としか今は思えない。
臨床から距離を置いたことで、前のような怒りは湧いてこない。
関わらなくてよくなったから、私もあの中で染まらずにいられる。
私にはできなかったから、私以外の人が叱ってくれて患者さんに害がないようになればよいと思う。
可哀想な人たちが多かったな、前の職場は。
自分のことしか考えられない人が多かった。
それは、働いてた時には苛立ってたけど、今では、とても可哀想だと思う。
私の周りには、そんな人は少ない。
夫はちゃんと周りに配慮して行動することができて私のことを一番にしてくれる。
私の友達も、他人のこともちゃんと考えて行動してくれる。
家族も、自分より私たちのことを大切にしてくれる。
自分を一番にしか大切にできないことは、とても可哀想なことだ。
自分の幸せしか考えることができないのは、とても可哀想なことだ。
心の貧困は何をしても埋められないものね。
彼女らも、子どもを産んで、少しは変わったらいいね。
でもきっと、産むだけじゃ難しい。
産むだけで心が豊かになるなら、この世に虐待も毒親も存在しないのだから。
私は、心が貧しくなくてよかった。
私は、心が豊かな人たちに囲まれていて本当によかった。
経済的には貧しくても、心は、いつも豊かでいたいね。